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Doraneko&Donuts

おすすめの本と映画と音楽をお茶を飲みながらまったりと語るブログ

トランプ大統領に絶望する者たちが教えてくれた 人が文章を書く理由

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ブルックリン・フォリーズ

 

こんちわ、秋の夜長に読書してますか?

おいさんだよ(*´ω`*)

 

先日はアメリカ大統領選も衝撃のラストを迎えて、多くの人々を落胆の渦へ投げ込みましたね。

 

そんな秋も深まって参りました今日このごろ、

今回は久しぶりに小説をおすすめしたいと思います。

 

ドラねこおすすめ書店・第108回目は、

おなじみのポール・オースターの「ブルックリン・フォリーズ」をご紹介しましょう!

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ブルックリン・フォリーズ

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アメリカといえば、夢と希望に溢れた自由の国というイメージがあるが、実際には日本とそれほど変わらない、人生に敗れた者、絶望した者が多く集まる国に今ではなってしまったようだ。

先日の大統領選でドナルド・トランプが「隠れトランプファン」なる者たちに支持されて当選したように、今では開きすぎてしまった格差に絶望した白人たちが各地で次々と怨嗟の声を上げてアメリカを覆い尽くさんとしている。

 

そんな絶望の現代よりもよりもだいぶ前、

9.11を迎える直前のアメリカ・ブルックリンが本書の舞台だ。

 

登場する主人公のネイサンは、今はもう現役を引退した元保険外交員で、悲惨な結婚生活の果てに、娘には愛想を尽かされ、ガンの手術後自分の死地を求めてブルックリンにやってきた哀れな男である。

なんとはなしにブルックリンにやってきた彼は、

そこで思いもがけずかつて自分がとても可愛がっていた成功すること間違い無しのかつての秀才(神童?)甥っ子のトムと出会う。

そんなトムとはブルックリンで一風変わった書店のオーナー・ハリーの元で働く本屋の店員として、見る影もなくかつての輝きが失われた状態で再開する。

 

ここに出てくる登場人物たちは、みなインテリジェンスで、温厚な性格の、いまだったらたぶん民主党の支持者であったろうリベラルな思想の持ち主ばかりだ(実際に本書に出てくる登場人物の何人かは、ブッシュ政権誕生を阻止するためにデモに参加している)

 

「フォリー」とは「愚かな」を表す単語だが、そんな温厚だが知性の高い者たちが、時々人生において愚かなことをしてしまったおかげで自らの生きる道に絶望しながらもブルックリンで出会った時、彼らに様々な事件が巻き起こる。

 

人生に絶望した者たちへのエール

今回おすすめする 「ブルックリン・フォリーズ」はポール・オースターの作品の中でもかなりライトな、どちらかというとオースターの作品では「ティンブクトゥ」のような軽妙な語り口で書かれている苦悩を抱えた大人たちの物語と言っていいだろう。

 

そんな主人公のネイサンは、彼の余生を自身「愚行の書」と呼ぶ今まで見聞きしてきた男たちのありとあらゆる愚行を記録する本を書くことで費やそうとしている。

半ば自嘲気味に自らの行為を何の意味もないものと捉えながらも、彼は文章を書くことの本意に苦悩する。

 

そんな彼に放つトムの言葉とても印象的だ。

詩人や小説家の生涯をよく見てご覧なさい。そこから得る総体は掛け値なしの混沌、例外ばかりの無限のごたまぜです。それは書くということが病だからです、とトムは続けた。

何なら心の感染症、魂のインフルエンザといってもいい。

誰がいつかかっても不思議ではないんです。

老いも若きも、強きも弱きも。酩酊せる人も素面の人も、正気の者も狂気の者も。文学の巨匠、準巨匠のラインナップを見てごらんなさい。

あらゆる性的気質、あらゆる政治的傾向、この上なく気高い理想主義から最高に陰険な堕落まで、人間としてありとあらゆる特性を抱え込んだ人たちです。

彼らは犯罪者であり弁護士であり、スパイであり医者であり、軍人であり独身女性であり、旅人であり隠者でした。誰も除外されないんだったら、六十歳にならんとする元保険外交員が仲間に入るのを何が妨げます?

いかなる法が、ネイサン・グラスがこの病に冒されていないと断定できます?

ブルックリン・フォリーズ」p155

この「誰がいつかかっても不思議ではない」という部分に、わしは自分の心を見透かされたような気がしたw

わし自身、こんなブログなんて書く気はさらさらなかったが、何故か突然自らの旅の行い(これも一つの愚行の書)を書きたいと思いたち、このブログの初期の形、「ドラねこ日記」を始めたのだ(たぶん多くの方々は覚えておられないだろうw)

 

それだけによくここまで続けて来れたもんだと、自身の書き散らしてきた駄文の数々を振り返ると感じてしまうのだが、それも仕方ない。

なぜなら人が何かを「書きたい!」と思うことは、魂がインフルエンザにかかってしまったようなものだから。

 

老いも若きも、バカもかしこも、男も女も誰だって常に自分の人生にぶち当たる不条理に翻弄されて疲れた時、どうやらこの魂のインフルエンザなるものにかかってしまうらしい。

 

それが端的に発散される場所が、ブログというものなんだろう。

はてなブログに限らず多くのブロガーは、基本的にこの病にかかっている。

 

そう、「書くこと」は心の感染症なんです!(^_^;)

 

魂のインフルエンザに促されて

そんな魂のインフルエンザに絶賛かかり中のわしも、やはりネイサンではないが弱小ブログを更新していると常に書くことの意味を考えさせられる立場にいる。

 

わしはなぜそんなに読者数もいない、うだつの上がらない弱小ブログをもう三年続けているのだろう?一向に対して報われないブログを意地になってこうも駄文を書き散らしながら更新しているのだろう?

 

まるで「生きる意味ってなんだ?」みたいな青臭い苦悩を抱えながら、常に才能と無い知恵を絞りながら更新に更新を重ねる日々だった。

 

こうした行いは、

ひょっとしてレベルの低い文化的法投棄になるのではないだろうか?

 

わしはさながら駄文製造マシーンではないだろうか?

 

そんなに文章がウマいわけでもないし、

文章で自分を表現したいという気持ちも元々持っていなかった。それなのにナゼ?

 

そして、

そんな俺が綴る文章なんか、

いずれは読者に見放されてしまうんじゃないだろうか?

 

そんな恐怖と焦燥感に囚われながら、

思い起こせば毎日もがき続けてきた日々だった。

そうした思いはもちろん今でも続いている。

 

そして、当たり前だが答えなど見つかりようもない。

 

そう思っていたわしに、この本から一つの光明を見つけだした。それがこの一節、

社会が押し付けてくる命令を拒む勇気があるかぎり、人は自分の定めたやり方で生きることができる。

何のために?自由であるために。

でも何のための自由?

本を読み、本を書き、考えるために。

p18

そうだ、「自由」だ。

わしは「自由」がほしかった。

わしは自由を手に入れるために、このブログを始めたのだ。

 

最初は、旅の記録や本の備忘録のために更新していたこのブログも、

突き詰めればこの「自由」を手に入れるために始めたようなものだった。

本を読み、自らの頭で考え、そして自らの力でお金を得て「自由」に生きるために……

このブログを始めた「核心」は多分ここにあったのだ。

 

もちろん、未だにその「自由」とやらは手にいれてはいないし、

情けない日常は今でも続いている。

まるでネイサン・グラスのように……

 

それでも自分がしたいことをして明日を生きるために、

わしは「社会が押し付けてくる命令を拒む勇気」を持ちながら、

このブログを更新し続けなければならない。

 

それが、わしがブログを書く「意味」なんだろう。

 

そんな魂のインフルエンザに、あなたもいつかかかるかもしれない。