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Doraneko&Donuts

おすすめの本と映画と音楽をお茶を飲みながらまったりと語るブログ

ブログを辞めたい者たちへ 司馬遷の心意気に触れて思いとどまってみませんか?

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現代語訳 史記 (ちくま新書)

※2014/9/03 リライトしました。

 

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ちわ!ドラねこです。(=´▽`=)ノ

皆さん元気に読書してますか?

 

前回、「史記・武帝紀」についてのお話したが、史記というものがどういった書物かあまりよくわかっていない人のためにも、今回は司馬遷が実際書いた史記をご紹介してみたいと思います。

え?いえいえ、わしが選ぶ史記だからとても読みやすい簡単なものをご用意していますよ。

 

ということで今回は、本家本元「史記」について語ってみましょう!

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現代語訳 史記 (ちくま新書)

現代語訳 史記 (ちくま新書)

現代語訳 史記 (ちくま新書)

 

前回、わしが紹介した北方謙三「史記 武帝紀」は実際の史記を元にした漢という国が最大勢力になるころのお話を小説にした本であった。

今回は本物の史記

しかもわかりやすいタイプの「現代語訳 史記」をご紹介したい。

前回の「史記 武帝紀」は前漢の武帝を中心にした司馬遷の目線から書かれている北方謙三の小説、いわばフィクションであったが、今回は実際の司馬遷が書きつづった歴史書である。

 

何冊目かの史記がこれだった。

これに行き着くまで、どれくらいの史記を読んだだろう?

 

史記」とは、

司馬遷が中国の歴代の皇帝・(ぎょう)や(しゅん)、漢王朝を設立した高祖・劉邦などの活躍を中心に綴った歴史書であることは前回解説した。

 

本書は、そうした膨大な「史記」の記述(大体細かく読んでいこうとすると3巻仕立てか4巻くらいの長ったらしいものになる)の有名な部分だけを、コンパクトによりわかりやすくまとめた新書である。

本を開いてページをめくると、国語の授業でも読んだようなどこかで触れたことのある懐かしいエピソードがいくつも載っている。

 

そうか。このお話って史記からでていたのか。(;´∀`)

と、思わず唸らせるような有名なエピソードの宝庫なのだ。

しかもそれが、いわゆる史記の重要な部分だけをコンパクトに摘んだ

新書サイズに凝縮されている。

 

なので初心者でも非常に読みやすい。

 

実を言うと、ワシは「史記」完全版を読んでみたくていくつか別の本をあたってみたが、その長さと学問的な用語の難しさに辟易して途中で何度も辞めてしまった。

しかし、やっぱり有名な古典だからなんとか読んでみたい。

そこでもっとわかりやすい砕けた初心者向けのものを探しているうちに、この「現代語訳 史記」に出会ったのだ。

 

読んでみて正解だった。

難解な古文に慣れてないわしでもスラスラと読めるような簡単な現代文にちゃんと訳されている。しかも細かいところの解説付き。

 

これは初心者にマジでオススメな良書である。

 

史記という書物の学問的価値

史記」という書物は、実は中国の歴史書として革新的な役割を果たしている。

それは紀伝体という形式を取り入れた中国初の歴史書だからである。

紀伝体とは

「紀伝」の上位に位置づけられた2項目、「本紀」と「列伝」に由来する。

  • 本紀(ほんぎ)

皇帝などの支配者に関した出来事を年毎に記述する。

  • 世家(せいか)

諸侯に関する記述。「趙世家」「魏世家」など。

  • 列伝(れつでん)

個々の人物、特に国に仕えた官僚の一生を記したもの。また周辺の異民族の風習などを書き並べたものもこう呼んだ。   

 中国では『春秋』と云う名作があったために最初は編年体が主流だったが、司馬遷の『史記』以降は紀伝体が主流になる。

                  紀伝体 - Wikipedia

この史記が世に登場して以降、中国の歴史書はこのようなフォーマットで作られるようになる。

いわば、歴史書のパイオニア。

東アジアの歴史は大体、史記を元にした紀伝体で描かれるようになる。日本では『大日本史』などがそれに当たる。

以降はこうした歴史書のスタイルが連綿と受け継がれていくのだ。

 

それほど司馬遷が構築した歴史書のスタイルは文学的価値があるということだろう。

 

絶望を糧にして執筆に魂を捧げる

司馬遷は大史令(歴史家・天文学者)であった父親から漢代以降、途絶えてしまっていた歴史の記述の完成を託され、その意志をついで「史記」執筆に精を出す。

しかし途中、武帝からあまりにひどい仕打ちによって不刑に処され、男として生きていくことに絶望する。

 

だが、司馬遷はこれを恨まずにむしろバネとして執筆活動に没頭し、男でなくなるというコンプレックスを糧にして、歴史に名を残す偉業をやってのけたのだ!

 

すごい!(; ・`ω・´)

司馬遷の途絶えてしまった歴史を何としても書き上げるというその熱い情熱、意志の強さたるや凄まじいものである。

わしはこの事実を知って司馬遷の歴史に対する熱い想いに、思わず感動してしまった。

普通の人間は、いくら情熱を持っていようとも金玉を取られてまで歴史書を完成させようとは思わない。

 

これが司馬遷の史記という書物に文学的な価値を与えているもう一つの側面なのだろう。

 

さすがに司馬遼太郎が尊敬し、「司馬遷に(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」と言って司馬遷からペンネームの由来にしただけのことはある。

 

恐るべき文筆根性である!

 

それに比べてワシはこのブログを書いていていつも嫌になる時がある。

それは大体、誰かこのブログ読んでるのかなぁ?(;´Д`)

本当は誰も読んでないんじゃないかなぁ?(-_-;)

もし読んでいても誰も面白いと思って無いんじゃないかなぁ?(TOT)

と不安になる時だ。

 

このブログは訪問者の訪れる数が一定しないブログだから、少しでもPV数が少なくなるといつもそうした不安に襲われる。

そうした時、わしはすぐに筆(キーボード)を折りそうになる。

 

しかし、そこでひるんでしまってはいけない。

このブログがほとんど誰にも読まれずに多くの読者もつかず、底辺をさまよっていた頃、わしはこの、司馬遷の心意気にどこまでも励まされたのだ!だからここまで辞めずに書き続けることができたのだ。

 

そうだ!途方にくれている場合じゃない!

今は芽が出なくたって、自分がやるべきことをこつこつ書いていくしかないじゃないか!

 

そうした地道な積み重ねによっていつの間にかこのブログも多くの読者に支えられるブログになったんじゃないか!

 

この記事を読んで、今にもブログを辞めようと思っているブロガーは、本書を手にとって、その凄まじい司馬遷の人生と、司馬遷の歴史に対する熱い想いから少しでも文筆根性を学んだほうがいいだろう。

 

わしらは所詮、アマチュア文筆家。

書いた文章は誰からも読まれず、たまに変なヤツに石を投げられるのは日常茶飯事である。そう、開き直ってしまえばいいのだ。

そしてもう一度頭を冷静に切り替え、自らが書きたいことを書き綴るところから始めればいい。

 

そうして耐えながらも自らで考え、

自らの頭を悩ませながら文章をつづっていれば、

いつかはきっと、陽の目を見る時が来るかもしれない。

 

いくら無名の弱小ブログでも、そのチャンスは訪れるだろう。

わしはそう、信じている。

 

www.doraneko86.net