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Doraneko&Donuts

おすすめの本と映画と音楽をお茶を飲みながらまったりと語るブログ

占いを信じる前に覚えたい 売占に騙されないための易学入門!

おすすめの本

易と健康〈上〉易とはなにか

※2015/11/09 リライトしました。

 

ドラねこ書店 おすすめの本42

ちわ~!ドラねこです。(=´▽`=)ノ

皆さん本読んでますか?

 

今日は「占い」でない「易」についての本をご紹介したいと思います!

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易と健康

易と健康〈上〉易とはなにか

易と健康〈上〉易とはなにか

 

正直言ってそんなに興味はなかった。

 

だってなんとなく当たらなそうだし、

素人がやってみても難しそうだったからである。

しかしこの本を読んでみてその奥深さに驚いた。

何の話かって?「易」の話である。

 

今回紹介するこの「易と健康」は、安岡正篤氏によって上下二巻に綴られた「易」に関する入門書である。

しかし、入門書といってもそんじょそこらの占いの本ではない。

本書にはとても3、40年も前に書かれた易に関する本だとは思えないような現代にも通じる奥深い話が多く収録されている。

 

では、そもそもって一体何なんだろう?

まずはそこから話を進めていこう。

 

変化することが易

「易」というものを一言でいうと「化」である。

これはつまり「造化」の「化」

 

「六十にして六十化す」というように、いくつになっても諦めずに変わり続けていくこと。六十になったら六十になっただけ、なお造化していく。

 

単なる変化ではなく、創造進化していく、造化していく、これが易の妙諦、易の真理なのだそうな。

また、易で大切なことは変易、簡易、不易の三つだ。

 

この本とは別に、台湾を民主化へと導いた李登輝氏の著書「台湾の主張」におもしろい記述があった。

台湾の主張

台湾の主張

 

そもそも「易」とは実は時間の方程式であり、変易、簡易、不易の三つの意義で説明することができる。

もし仏教の「三法印」と比較すれば、「変易」とは諸行無常であり、「簡易」とは諸法無我であり、「不易」は涅槃静寂を意味する。

わかりやすくいえば、

「時間は絶え間なく変化し、万物万象もこれに従い変動して停止しない。ところが、この無常の変化のプロセスの中に変わらざる真理が存在する。

そしてこの不変の本質を把握し、本来の変化を予測しようとすれば、必ず誠実な魂が必要とされる」

ということである。

なるほど、実にわかりやすいw

このように易はこの変わり続ける世の中を、自分の身の回りの生活に合わせながら絶えず自分の進むべく「道」を示してくれる「学問」なのである。

 

そう、あくまで「学問」であって「占い」ではない。

そしてここが肝心なのだが、「易」によって出た自分の運命は、宿命(逃れられない運命)として諦めず、どんどん変えていくことが重要だと本書は指摘する。

 

これを立命という。

 

立命。

つまり自分の運は自分で切り開く努力が大事だということだ。

 

安岡先生もこの本で「街などで見かける売占、易者のように相手も運命を占って」当たった、当たらないと、まるで脅すようにお金を貰っているようじゃダメだ。易の本質はそんなところにない、と仰っている。

 

易の本質は「立命」にある。

自分の運命を変えられないものだと自分の運命を宿命と捉え、創意、工夫を諦めてはダメなのだ。宿命論者ではなく立命論者になろうということだ。

だから、師である安岡正篤氏の名を借りて、悪どく商売している細木数子なんかはダメな例の典型だろう。

 

安岡正篤氏も「金もうけの為に易をやるなんて、つまらんからやらんけど、もしやっていたら、しこたま儲けられていたんだろうなw」と仰っている。

 

すごい。(;´∀`)

もしやっていたとしたら、細木数子なんかよりも、もっとすごい占い師になっていたんだろうねw(*´∀`*)

 

易は無の学問

最後に、易について安岡先生はこう仰っている。

味でもそうでありまして、甘いなんて味は、(中略)

これは一番つまらない。

甘いというものがやがて渋いとなり、苦いとなる、というところが本当の味というものがある。(中略)

結局、味わいの至れるものは無の味だ。無の味とは何かといえば、水だということになる。

そこで、君子の交わりは淡として水の如し。(中略)

それじゃつまらんじゃありませんか、何も味がない、というふうにいう人がよくあるんですけれども、そうではないんです。至れる味わいというのは、甘いとか渋いとか苦いとかではなく、何とも言えない無だ。

君子の交わりは淡として水の如し。これは水くさいというものではない。水くさいものなら、君子の交わりはつまらん。そうではなく、いうにいえない味だと。無の味わいだ。それで初めて意味がわかる。

現に、人間は死に臨んで「水をくれ」というんで、死に臨んで「砂糖をくれ」という奴もない。(中略)

それほど水というものは、本当の味があるものです。

易はそういう意味において、非常に無の味無の学問といっていいんです。

なるほど、易は学べば学ぶほどその妙味が出てくる奥深い哲学で、「易」というものは年を取れば取るほどおもしろいものらしい。

年を重ねた上で易を読むと、この上なく奥深いものがあるんだと安岡先生は言っている。

 

皆さんも試しに本書を覗いてみてはいかがだろう?

 

これを読めば、

街で見かける売占が馬鹿らしくなるかもしれない。

 

www.doraneko86.net