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Doraneko&Donuts

おすすめの本と映画と音楽をお茶を飲みながらまったりと語るブログ

ニヒリズムが日本を滅ぼす。日本を救う「社会の抜け道」とは?

おすすめの本

社会の抜け道

※2016/9/13 リライトしました。

 

ドラねこ書店 おすすめの本65

ちわ!おいさんだよーう。(*´∀`*)

皆さんおもしろい本、読んでますか?

 

いま、身の回りを見渡してみても、

どこも問題だらけで何ら楽観的なものが見つからない。

景気は良くならないし賃金は上がらないし、少子高齢化も子育ても問題の解決点が見えない。日本は問題だらけである。

考えただけで頭が重くなるが、それでもより良い世の中を作っていくためには、考えることをやめてはいけない。

 

そんな暗い現代に一筋の明かりを灯してくれるかもしれない本が、この「社会の抜け道」 である。 

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社会の抜け道

社会の抜け道

社会の抜け道

 

タイトルを見ると「社会の抜け道」って、世間で行われている違法なこと(脱法ハーブとか脱税とか)を色々解説しているような本に思われるかもしれないが、この本はそうしたものではないw

 

この本でいう「抜け道」とは、既存の社会システムに起こっている「水漏れ」のことで、本書はそうした「水漏れ」について考えるという意味でこのタイトルが付けられているのだ。

そう、わしらが生きるこの社会では色々な「水漏れ」が起こっているのだが、二人がまず取り上げるのは、いま生きて消費しているこの「資本主義社会」についてである。

  

二人はまずコストコIKEAなど大型ショッピングモールを訪ねて、現代の消費社会について論じる。

 

資本主義の欠点

國分「(前略)俺は20世紀の消費社会のシステムにはやはり批判的。消費と不満足の悪循環をつくり出すことで大量にものを売るっていうのが消費社会の定義だけど、この、買って捨ててを繰り返すシステムというのは続いていかないだろうし、望ましくもない。

とはいっても、「消費社会の終焉」とか「資本主義の終焉」とか、そういう大袈裟な話は古い左翼の誇大妄想に過ぎなくて、何の役にも立たないし、自己満足のスローガンでしかない。何か革命的なものによって消費社会や資本主義が終了して、新しい社会になるなんてありえない。

いまあるシステムは残るけれど、そこに新しい経済の在り方が上書きされていく、そういう方でしかシステムの変更は考えられないと思う。消費社会的なものは今後も残っていくとはいえ、それとは違う楽しみ方をする層が出てきたり、違う購買の仕方を提供する企業やお店が出てきたりする。

そうしたことが同時並行的に起こって、チャンネルが増えていく。そういう方向を目指していけばいいんじゃないかな。

社会の抜け道」p57・58

第一章の「IKEAとコストコに行ってみた」では二人はこの二つの大型ショッピングモールが、施設を作った側とは少し違う使われ方をしていることに注目しつつ、こう論じる。

確かに20世紀特にリーマンショック以降盛んに「資本主義の終焉」などが叫ばれてるが、現状は一向に変わらない。

もちろんわしら一般人が目に見えないところでは以前の資本主義とは違った形に変質しているのかもしれないが、現在の日本は安倍政権のアベノミクスに代表されるように「新自由主義」まっしぐらでまだ進んで行こうとしている。

 

多くの人間が疑問を抱いているのに止められないこうした資本主義に、二人はショッピングモールというわしら消費者に近い場所で、実は今までとは違った消費社会が訪れつつあるのではないかと論じている。その二人の話が非常に鋭くて読んでいておもしろい。

 

そして第二章「暮らしの実験室の幸福論」では、話は「新自由主義」について触れられる。

古市「ヨーロッパにおいて、社会的企業の誕生には福祉国家の縮小と新自由主義が密接に絡んでいます。福祉国家は、貧困や公衆衛生といった「大きな」社会問題を解決するのが得意です。

しかし、一定以上の成熟した国では、国民のニーズはもはや貧困といったわかりやすいものではないニーズが細かすぎて、行政が把握するにも限界がある。そこで福祉の担い手の役割分担は変わったんです。国家の福祉が提供を独占するのではなくて、規制を緩和して民間でも行政的な役割を肩代わりできるようにした。

新自由主義って、ただ国家を縮小するという話ではないんですね。日本で「新自由主義」というと、悪の権化みたいな印象を持つ人もいますけど。」

p93

知らなかった。

わしは新自由主義って小林よしのり氏の影響で古市氏の言うとおり「悪の権化」だと思っていたw

しかし、本文をよく読んでその成立過程を知ると、それほど悪い思想でもないということがよくわかりました。

もともとは福祉国家になりつつある過程で、「福祉において政府が国民の要望に答えられなくなってきたので、これを民間に肩代わりさせたらどうか?」っていう話だったんですね。

國分「この10年くらい日本では新自由主義、つまりネオリベがよく論じられているけれど、そのときに問題になっている「ネオリベ」って、規制を全部取っ払ったフィールドの中にプレイヤーを投げ込んで、生きるか死ぬかの競争をしてもらって、生き残った選択肢が最適解という単細胞の考えですね。こういう「ネオリベ」は本当にもう最悪。

それに日本は「競争すればOK」って発想じゃダメだということをこの10年くらいで痛いほど学んだ

古市くんがいってるのは、しかし、そもそも「新自由主義」という言葉のもとで出てきた発想はこんな単純な考え方とは全然関係ないということだよね」

p94

問題は、そうした善良な考えから生まれた思想がいつの間にやら「単純化されて」元々の意味とは違ったものに変質してしまったことが、今の日本の問題の原点になっているんですね(*´∀`*)

 

確かに新自由主義っていうと、小泉構造改革に象徴されているように、ひたすら国民を競争に晒せばそれで国が栄えるみたいな単細胞な話だったんですけど、今の日本の現状を見ると「どこにそんな繁栄があるんだ?」言いたくなる。

結局、アベノミクスの金持ちが更に金持ちになって、貧乏人は更に貧乏になっただけですしね。

 

二項対立の危うさ

國分「例えば話題のTPPは、すぐに国内の農業を守るのかそれとも貿易かという二項対立にされてしまうけど、その一方で、国内のルールを自分たちで決められなくなる可能性があるという点については十分に議論されていないように見える。

議論を二項対立にもっていくと絶対に答えは出ない。

だから、みんな「ああ、どちらも正しいから、この問題は難しいなぁ」って何も選択できなくなる。脱原発もそう。すぐに、原発依存をやめるか、生活水準を下げるかって話になるでしょ。

(中略)

問題についての情報をたくさん仕入れて、知識を増やしていくと、そういう二項対立は消えていく。二項対立で隠されていた真の論点が見えてくる。

だから新聞やテレビなどのマスメディアはそのための情報提供をしなければいけないはずなのに、二項対立にもっていく論調が実に多いね。

p113

第三章の「デモと遊びと民主主義のアップデートされた関係性」では話がこの国、特にメディアなどで見られる単純な二項対立の話に及びます。

確かにこの国のメディアなどを見ると今の日本の経済にしろ国防にしろやたら問題を単純化した二項対立の大合唱が見られる気がする。

でもそうした問題に決断を下すには実は色んなメディアが「様々な切り口で問題点を報道すること」が大事なんだね。

しかし新聞含めた大メディアと呼ばれるモノは、大抵自分たちのイデオロギーに縛られた偏向した情報しか報道しない。

これでは自分の頭で考えることができない人間がたくさんでき上がってもしかたないように思えます。

 

ではそうした自らの頭で考える人間になるためにはどうすればいいか?

その一つのヒントが「暇の上手な活用」の仕方に隠されていると思います。

國分「実は晩年のフーコーは、俺の「暇と退屈の倫理学」じゃないけど、暇が大切だって話もしている。古代ローマでは暇は自己と向き合う時間として考えられていた、と。

p98

なるほど、この情報が氾濫している世の中で「何が真実」で「何が真実でないか」を見抜くためには、暇な時間に自己と向き合うことが大切であると言っているんですね。

確かに忙しすぎるこの世の中では、日々色んなことに心を奪われてしまって、つい新聞やTVの言説にめんどくさいから自分の頭でロクに考えもせずに乗っかってしまうことがあります。

でもそうした人間にならないためには、暇な時間に本でも読んで、常に「自己と語り合う」ことが大切なんだね。

國分「うまく遊べないときに、人は退屈する。だから、うまく遊べなかったり、楽しめなかったりすると、人は外から仕事や課題を与えられることを求めるようになる。

自ら自由を捨てて、何かに従いたくなる。人間が従属へと向かう契機の一つには、自分で楽しめないということがあると思う。自分で楽しめないと退屈してしまうから、外から仕事を与えられたほうが楽だという気持ちになるんだよ。

だから俺は、人はきちんと遊べるようになる必要があると思っている。小さいときからとにかく遊ぶことが大切だと思うね。それができてないと、従属したがる人間ができ上がってしまう。

p119

これは非常によくわかります。

でもだからといって、ニートだからぼんやりゲームしたり、ネットしたりしてばかりではいけないということですよね。

えぇ、えぇ、見に滲みます。

昔のわしが聞いたらなんて思うだろうなぁ……(-_-;)。

 

確かに遊ぶことがうまくできないと、いざ休みが手に入った時人生を楽しめないでしょう。

特にそれは定年を迎えた「団塊の世代」に多いように思われます。

ウチの親父も酒ばっか飲んでるからなぁ……(;´Д`)

 

これからの次世代を担う、保育と理想社会

國分「保育園で話を伺った園長先生や保育士さんたちが何よりも強調していたのは、知識と技術の伝達という話だったよね。子どもと接触する仕事って、マニュアルで学べることは限られているので、直接に年長者の人に学んだり、先輩の保育士のやり方を見て覚えたりっていう形でしか、多くのことは継承できない。

それってすごく大切なことだと思うんだよね、だから、下手な制度改革をすることで、そうした関係が築けなくなるのが一番怖い。こんな当たり前のことなのに、いまはそうしたことのリアリティも感じ取れない連中が制度設計に携わっているから、きちんといっておかなきゃいけない。」

p149

第四章では保育園の現状をつぶさに見つめて、今何が問題であるのかを國分さんが特に熱く、わかりやすく語ってくれます。

この章を読んでいると、現在の少子高齢化や保育の問題を考えられずにいられません。

確かに現在の「待機児童の問題」や「老人介護」の制度の問題を考えていくと、それは行政の都合でシステマチックに考えだされた、利用者抜きの議論で構築されて閉まっている感が否めません。

こうしたものに自分たちが利用する側になったらいったいどうなるのでしょうね?(;´∀`)

 

そして話は理想社会についても及びます。

國分「火炎瓶を投げていた人たちって、闘っていたつもりだろうし、闘ってはいたのだろうけど、政治はやっていなかったということだよね。

カール・シュミットが、政治っていうのは「敵」と「友」にわける概念なんだっていってる。このシュミットの政治概念は「敵」の概念の方が注目されるけど、むしろ「友」のほうから考えないといけない。政治的な味方を作っていかないと政治は変えられない」

p235

これも今の政治状況を見ていると考えさせるよなぁ……。

例えば「脱原発」や「景気」の問題を野党が本気でどうにかしようと思っているのなら、党利党略ではなくてそれぞれが連携してことに当たれば、選挙で与党をどうにか震撼させることもできるだろうに、そうした取組は一切しないのが今の日本の政治家ですよね。

 

これ以上の自民党の暴走を止めるためには、野党にもう少しがんばってもらいたいなぁ……

 

それでも社会はすぐには変わらない

古市「僕たちはがこの本を通してずっと話してきたのって、社会は革命的には変わらないってことだと思うんです。何か新しいシステムを導入するとか、新しい政治家が登場するとか、強大な敵を倒すとか、そんなことで社会は変えられない。

社会はちょっとずつしか変わらない。だけど、「新しい何か」が登場して、ダメなものを一掃してくれるっていう革命への願望や欲望には、なかなか抗えないのも事実ですよね。」

p245

本書に書かれていることは当たり前かもしれないけど「社会はすぐには変われない」ということだ。 

これは「何を当たり前のことを!」と思われる方も多いかもしれないが、案外の今の世のかな全てをリセットしてもらいたい「革命」を密かに待ち望んでいる人間が多いように思える。

そうした民衆の思いが、以前吹き荒れた「橋本旋風」や、最近起こった「京大の事件」などで象徴されている。

古市「革命が始まると、具体的にはどういう弊害が起こるんですか。」

國分「フランス革命をやったら恐怖政治が起きて粛清が始まった。ロシア革命をやったら共産党の独裁体制が生まれて、全体主義に発展していった」

古市「結局、ジャスミン革命が起こった中東も政情がまだ安定してないし、経済的にも混乱しています。

革命が起こったからといって、すべての社会問題が解決するわけではないってことですよね

p127

しかし、実際には日本で革命なんて起こらない。

起こったとしても、中東の革命や西洋の革命が象徴しているように、きっとひどい混乱がもたらされて、きっと今より悪くなるだろう

「革命」や「救世主」がいきなり現れて世界が一気に良くなるなんてことは現実には起こらないのだ。

 

そんな時代に「いま何が一番大切なのか?」という保守の思想が尊重されてしかるべきなのに、「自称保守」と名乗る連中はまったく役には立たない。

國分「革新が何なのかぼやけていくのと同時に、保守もぼやけていってる。

いまの自民党政権はとても保守とはいえないよね。TPP賛成って、弱いところはつぶれてくださいっていう発想だからね、まぁ保守とか革新という区分はいまの時代は役に立たないよ。」

p247 

そうしたことは「TPP」や「脱原発」の問題で「自称保守」を名乗っている連中が実は自分の頭で思考しない烏合の衆だということを、国民は感づいている。それは現状をややこしくする。

 

いまの現実において、

自分の頭で思考すること以外、

この国を良くする「自浄作用」は存在しないのだ。

 

最後に、この国に横たわる様々な問題についてあとがきで國分氏はこう言っている。

國分 哲学者ジル・ドゥルーズの次のような考えだった。

「社会は矛盾によって定義することはできない。社会というのは常に水漏れを起こしている。社会にまずあるのは水漏れである。」

(中略)

社会が水漏れを起こしているのは、社会システムには必ず取りこぼしがあるということであり、言い換えれば、システムには抜け道があるということだ。

確かに「ざっくり」と眺めればグローバル経済は全世界に広がり、それとともに消費社会の論理が私たちの生活の隅々にまで浸透している。しかし、システムが何もかもを覆い尽くすことはない。社会はあちこちで水漏れを起こしている。

(中略)

社会システムも同じである。

そこにはたくさんの取りこぼしがある。社会は、その取りこぼしを取り込もうとすることもあれば、放っておくこともある。「ざっくり」と眺めれば、何もかもがシステムに取り込まれているように見えるかもしれない。しかしそうではない。人が新しい事例を発明したり、システムがそれを取り込んだり、無視したり、そうした流動状態の中にあるのが、社会なのだ。

p251・252

いまの日本はニヒリズムが吹き荒れる社会である。

そんな「社会」だからこそ、自分の頭で「思考」したい。 

 

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