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Doraneko&Donuts

おすすめの本と映画と音楽をお茶を飲みながらまったりと語るブログ

プレイヤー・ピアノに見る原発問題

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プレイヤー・ピアノ (ハヤカワ文庫SF)

※2016/3/16 リライトしました。 

 

ドラねこが気になる書籍や、読んで面白かった本を紹介するドラねこ書店おすすめの本。第48冊目は「プレイヤー・ピアノ (ハヤカワ文庫SF)」を紹介するよ(=´▽`=)ノ

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プレイヤー・ピアノ

プレイヤー・ピアノ (ハヤカワ文庫SF)

プレイヤー・ピアノ (ハヤカワ文庫SF)

  • 作者: カート・ヴォネガット・ジュニア,Jr. Vonnegut Kurt,浅倉久志
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2005/01
  • メディア: 文庫
  • 購入: 2人 クリック: 16回
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何かの本で読んだ事がある。

ある作家の特徴を知りたければ処女作を読め。

そこにすべてが書いてある。

たしかこんなことを言っていた気がするw

つまり、ある作家について知りたければ、処女作を読めばそこに今後この作家がどういった作家になるかがすでに書かれている。ということであるらしい。

 

ふーん、そういうもんなのか(゜o゜;

わしは文芸評論家ではないし、文学者でもないので、そこんところの詳しいことはよくわからないけど、カート・ヴォネガットについては当たっている気がする。これはあくまで私観であるがw

 

わしは今までいろんなヴォネガット作品を読んできた。

タイタンの妖女』(1959)、『猫のゆりかご』(1963)、『スローターハウス5』(1969)、『チャンピオンたちの朝食』(1973)などの色んなヴォネガット作品の中から、今日はあえて「プレイヤー・ピアノ (ハヤカワ文庫SF)」を取り上げてみたい。

 

現代社会を鋭く予言した名作

この本は長い。

「新装版へのあとかぎ」も含めると、なんと600頁を超える!

ちょっと一気に全部読み通すのはしんどいけど、それでもこの本には晩年のヴォネガットの姿が思い浮かぶような、作家としての本質が見えてくる本である。

 

その本質とは、未来を見通す先見の明がこの作家にはやはりあったということだ。

1952年に書かれた作品とは思えないその想像力に、わしら60年後の世代が読んでも思わず唸ってしまう。とにかくリアルなのだ。

 

何がリアルなのか?

それはこの物語の中で描かれる「機械化された工業社会」が現代とそっくりであるというところだ。

もちろん、作品中の少しカルカチュア化された日常は当てはまらない。

だがあまりに高度に社会が機械化されてしまったおかげで、仕事をロボットに取られて働き口がない労働者と、それを管理する(そして世界を支配する)科学者との対立など、まさに現代工業社会の一端を痛烈に皮肉っているようにわしには思える。

 

この奇妙なくらいの先を見通すヴォネガットの想像力は素直にすごい。

1952年の時点で今の未来を見通していた作家がどれくらいいるだろうか?多分、それはヴォネガットだけだったのではないかと、わしは思っている。

カート・ヴォネガットと言ったら、ブラックジョーク的なシニカルかつユーモラスな筆致で、荒唐無稽な筋立てを展開するSF作家だと言われているが、ヴォネガットの魅力は実はそれだけではない。

それはヴォネガットのほんの表面を撫でているだけなのだ。

 

作家・カート・ヴォネガットの真髄は、この処女作に現れているように、類まれなる先見性、「未来を見通す力」なのだ。

本書はヴォネガットにありがちな「笑い」の部分は比較的少ないが、その分ヴォネガットの本質である「未来を見通す力」はよく現れている気がする。

 

仕事をロボットに取って代わられる世界

現代は高度に機械化された文明社会である。

起業はコストカットのために工場をほとんどオートメーション化(機械化)して人件費を削り、いかに安く商品を作るかに神経を尖らせ、国内の工場はほとんど海外に移転してしまい、国内に工場はあっても安い外国人労働者にほとんど取って代わられてしまっている。

 

これから先、もっと日本は働く場所が少なくなってくるだろう。

もうわしら人間が、自身でなにか工業製品(家電やスマホ)などを作ることはなくなるかもしれない。

それくらい脱工業化社会が進んでいくのは時間の問題だろう。

 

その時、わしらはどうするのか?

この小説の主人公のようにノイローゼになりながらも脱工業化への道をなんとか探そうともがき苦しむのだろうか?

そんな未来が、近い将来訪れるかもしれない。

 

近視眼的な視点でしか語られない原発問題

こうした作家の先を見通す先見性というのは、なかなか侮れないものがある。

昔、なにかの新聞で読んだのだが、100年前、「100年後の未来はどうなるか?」といことを様々な人たちに予言してもらい、一冊の本にしたことがあるらしい。 

その時、100年後の未来を正確に見通したのは科学者や哲学者や、政治家などではなく、漫画家だったという。

 

知識人と呼ばれた人たちの予想はすべて外れてしまったという。

 

それは知識人と言われた人種が近視眼的な視点でしかものを見れないために、漫画家の一見、荒唐無稽に思える飛躍した想像力が、飛行機や人類の月面到達やTVなど科学技術の分野を驚くほど正確な想像力で予言していたらしい。

 

意外と、作家や漫画家の想像力は侮れないのである。

1952年当時、世の人たちは自分たちの職業が機械にすべて取って代わられるとは思いもしなかっただろう。

もしそんなことを言えば、世間や科学者や政治家などはその人間を狂人扱いしたことだろう。

現代の人間からしたら笑い者になるのは彼らの方だが、でもそれは昔だけの話ではない。今の時代でもありうる話なのだ。

 

例えば、昨今話題になっている原発問題もその類だろう。

多くの科学者、新自由主義を推進するエコノミストや政治家などは原発を失くすことなどありえないと言っている。

 

  • 金がかかりすぎて現実的でない。
  • 日本の技術力を持ってすれば安全な原発が作れる。
  • 原発を失くせば景気が悪くなる。
  • 原発を失くすことは人類の退化だ。
  • 放射能は実は体に良い(イカれてるなw(*´∀`*)

 

色んな理屈をつけて口々に非現実的だ。原発は必要だ!という。

その中には原子力村の御用学者も多く混じっているのだろう。

でも、本当にそうなのだろうか?

今の科学者や知識人と呼ばれている人達に、どれだけ未来が見通せている人たちがいるのだろう?

 

この「プレイヤー・ピアノ 」を読んでいると、そうした科学者や政治家ら知識人たちに疑問を持たざるを得ない。

一体今の知識人と言われている人たちにどれだけ未来を見通す力があるのだろう?

案外、近視眼的な視点でものを観ているというより、欲で目が眩んでいるのかもしれない。

 

最後に、「プレイヤー・ピアノ 」のあとがきの言葉を紹介しよう。

カート・ヴォネガットは「芸術家」についてこう言っている。

 

カナリア理論

わたしはときおり芸術はなんの役に立つのかと疑いをもつことがあります。わたしに思いつける一番ましな答えは、みずから「カナリヤ理論」と名付けたものです。

この理論にしたがえば、芸術家が社会にとって有用なのは、彼らがきわめて敏感であるためです。

 

彼らは敏感すぎるほど敏感である。

 

そのために、もっと強壮なタイプの人間がまだなんの危険にも気づかない前から、彼らは有毒ガスの発生した炭鉱の中のカナリヤのように、目を回してぶっ倒れるのです。

一体どれくらいのカナリアが、

暗い未来に向かって鳴き叫んだのだろう?

 

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