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Doraneko&Donuts

おすすめの本と映画と音楽をお茶を飲みながらまったりと語るブログ

座禅・瞑想の前に大切な心構え「弁道」とは?

音楽・映画おすすめ

禅 ZEN [DVD]

 

おすすめ映画情報19 

ちわ、和紙だよ…あ、違った。わしだよ。

みんな大好きドラねこだーい!映画を楽しんでみてますか?  

 

今週も久しぶりにいってみます。

前回紹介したのはだいぶお下劣な映画だったけど、今回は打って変わって超真面目な映画を紹介しよう! 

タイトルもそのものズバリ「禅 ZEN」…カッコイイでしょ?

 

なぜこの映画を今回わざわざ選んだかというと、以前も何回か紹介しているけど、わしがこの4月から座禅を毎日しだしたから。

座禅をしていたらだんだん「禅」に興味を抱き始めてきたので、今回は座禅の一つの流派である曹洞宗の開祖・道元の生い立ちについて語られている映画を鑑賞してみたよ

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エンターテイメント性ゼロの真面目な子ですw

映画「禅 ZEN」特別版DVD

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びっくりするほど真面目でしたねw

 

この映画を観る前にちょっとHな「SEX&禅」というあまりにも馬鹿馬鹿しい中国の映画を観たんだけど、これが本当にくだらない、「ピンク・フラミンゴ」の次にくだらない映画だったので、お口直しに借りてみることにしたのです。

そして観てみてびっくり。

当時の曹洞宗の開祖になる道元さんの波乱に満ちた人生を、余分な演出は抜きで淡々と語っていくひどく真面目な映画だったんですね(;´∀`)

 

まぁ、前二作がホントひどいものばかりだったからこれくらいの硬派な作品がちょうどよかったんだけど、それにしても観ていて印象的に思ったのは作品中に出てきた弁道という言葉。

 

物語は主人公である道元が序盤で中国を旅している時から始まる。

その時道で出会った重い荷物を山ほど抱えている老師に、

「なぜアナタほどの(高齢の方が)重い荷物を背負って飯炊きの役をしているのか?」と聞いて、弁道の大切さを暗にほのめかされるシーンが非常に印象に残った。

 

弁道という言葉の意味をわしが考えるに、

人が生きていく上で必要な、当たり前のことを当たり前のようにやるということ。

庭の草むしりをすることや家の掃除をすること、ご飯を毎日食べるために愛しい家族に作ってあげることなど、人が生活する上で欠かせない当たり前のことを一人前にこなすことが大切であるということだろう。

 

実際にこの映画でも道元は自分を慕って集まってきた僧侶たちにご飯を作ることも立派な修行の内だとしきりに飯炊き役(典座)の重要さを説いている。

当たり前のことを当たり前のように、真剣に、真面目に誠意を込めてできないようで一体何が仏道であるか?そんなことも出来ない僧侶に悟りを開くことができるのか?ということなのだろう。

 

道元は物語の最初に出会った徳の高そうな坊さん(西村雅彦)の

「寺が守るためには(国の役人との)付き合いも大切なのだ」という言葉に違和感を覚える。

そんな風に権力者に媚びを売ることで本当の仏道を極めることができるのか?それは僧侶としての堕落ではないのか?と半ば本場中国の仏教者たちに絶望を抱きながら旅を続け、自らが尊敬できる恩師と出会うのだ。

 

そんな堕落した僧にならないためにはどうすれば良いのかというと、旅の老僧が何よりも弁道を大切にしていたように、いくら自分が悟りを開いて高層の僧侶になったとしても、飯炊き草むしりなどの身の回りの小さな雑事を疎かにせずにしっかりと取り組むことが大切であるという教えなのだろう。

 

それを疎かにすることから堕落は始まることを道元は悟ったのだ。

 

これはわしらも胸に刻みつけておかなくてはいけない大切なことだろう。

 

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当たり前のことを当たり前にしなくて良くなった時代

現代はそう考えると、自分たちの身の回りに当たり前としてやらなくてはいけないことを、しなくてもよい時代だ。

 

食器は食洗機で洗えば良い。家の掃除は下手をするとルンバみたいな全自動なロボットに任せてしまえば良いし、洗濯だって良い洗濯機があるから手間もかからない。ご飯なんかコンビニで買ってこればよい。

それくらいなんでもお手軽な時代になってきてしまっている現代では、弁道の大切さを発見することは難しいだろう。

 

今の世の中、自分も含めてそんな当たり前のことができない人が増えたためにおかしい世の中になってしまっているのだろう。

道元は己の欲望から離れてただ座ること、只管打坐(しかんだざ)を推奨している。

 

只管打坐とは何も考えずに座ること

 

なかなか始めはそんなことできないが、それでもわしも座禅をしていると、少しずつ頭の中が前よりも真っ白になっている時間が多くなってきたような気がする。

 

座禅をしている間だけは、

そんな欲望から離れて静かに座ることが大切なのだ。

 

弁道こそが大切

わしら俗人はそんな簡単に悟りを開くことなんかできない。

だがそれゆえに、身の回りのちょっとしたことをしっかりとこなせるようになり、日々の生活を大切に生きていくことが実は悟りの一歩なのではないだろうか?

 

座禅をどうの言う前にまずは弁道

それをやった上で座禅を組むと、また何かしらの効果があるのかもしれない。