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誰に読まれることなくてもブログを書いて思考することの大切さとは?

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ちわ、おいさんだよ。

キミはこの夏、本を読んでるかい?

 

わしはそれこそ毎日本を読んで絵を描いているヒマ人だけど、キミは自らの頭でものを考えているのかい?

…なんて、偉そうに上から目線で語ってしまったけど、各言うわしもロクなもんじゃない。毎日の思考の6割は妄想に飛んでしまう体たらくだよ、

だけどそんな思考とはおさらばして「人がものを考える」とはどういうことかということを真剣に論じた本を、今回はご紹介しよう。

 

そこでドラねこ読書ノート・第132回目は大澤真幸の「思考術」を紹介するよ。

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思考術

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長いことものを考えてブログ何かを書いている。

だが時々、自分がこうして書いたものに何の意味があるのだろう?

誰がこの書評なんか読んでいるんだ?と時々疑問に思うことがある。

 

有名人でもないわしの思考を読んで、何か世界を変えたいわけではないが、せっかく日々本を読んでいるんだから、そうしたことを備忘録ついでに書いておこうと始めたのが、最初の読書日記だった。

それがダラダラとここまで続いているのだけど、そうした思考の効果とは一体なにか?

「人間は考える葦である」

なんて有名な言葉があるくらいだけど、そんな思考することにどんな意味があるのかを論じたのが今回の大澤真幸の「思考術」である。

 

本書の中からわしがひっかかった部分を引用して少し論じてみよう。

 

疑問を長くキープする

繰り返しになるが、疑問を鮮明に持つことが圧倒的に重要である、答えを見出すことよりも問いを見出すことの方に思考の難所がある。

世の中はわかりやすい説明に満ちている。もちろんすぐれた研究に基づく説明多いし、そのすべてが間違いというわけではない。しかし、わかりやすさに安住したら、もうその先に先見はない。

ほんとうにおもしろいことは発見できない。

だから、疑問をできるだけキープすることが極めて重要だ。

「思考術」p36・37

「答え」よりも「問い」の方が重要だ。

そんなことを考えたこともなかったけど、大澤氏はそんな人間が生きていく上で遭遇する「問い」を特に長くキープし、わかりやすい説明に安住せずに自らの頭で考え続けることが重要であると言っているのだ。

確かに自分の頭に引っかかったこと、なんとなく自分の中で消化できなかった物事が、ある時出会った書物などで解消された時は快感である。

なるほど、そうか!そういうことだったのか!

誰かに教えてあげたい!自分の頭の中が深くなったような感覚。

それがあるからこそ思考する意味があるのだ。

 

ほんとうにおもしろいことを発見したい!

 

そう思うならば、疑問はあればあるほど良いということ。

確かにそれが知の探求というものであって、簡単にわかってしまうものはそんなにおもしろいものでもない、というのも頷ける。

 

そんな「問いを長くキープする」なんていう意外な文章を読んだことによって、わしの頭もまたぐるぐると思考することができるのだ。

 

なるほど、これが快感への第一歩なのか^^;

 

感情は論理的である。

(前略)

「感情は論理的じゃなくて……」と言う人がいる。けれども、それは違う。

人間が驚いたり悲しんだり、喜んだり失望したりするその感情は、その時に理由がわからなくても、実は非常に論理的である。

なぜ自分はそれに衝撃を受けているのか、そこに気がついてみると非常にはっきりした論理がある。感情の方が、中途半端に意識化されている理屈よりも、はるかに論理的である。

普通に言葉になるようなことは、しばしば、衝撃をごまかすためにつくられた理屈だったりするので、ほんとうの意味での論理性はない。

むしろ、自分が最初に抱いた感情を大事にする必要がある。その感情に見合った論理になっているかどうかが重要である。感情に論理がじゅうぶん拮抗できているかどうか。そういうふうに吟味しつつ、思考を進めてなければならない。

p38・39

この文章はわしは「感情」というよりも「直感」ということだと受け止めた。

直感は大事である。

だがいくら直感が真実を告げていてもそれに論理性はない。

人にその直感がいかに正しいかは説明できない。

なぜならそれは「感情」から生まれたものだからである。

 

大澤氏はそれがどんなに感情的なものであろうと、「その時理由がわからなくてもひどく論理的なものである」と断言する。

わしも男にしてはけっこう直感が鋭い方なので、「その時」説明できないことでも後から思い返してみると、やっぱり正しかったということは多くある。

過去に理由はわからないんだけど、なんとなく「ヤバイ」「マズイ」と思ったことは、後から考えてみればやっぱりあの時わしの感情に警鐘鳴らしていたんだと気づくのだが、その時は「何を根拠に」と自分が抱いた直感を無視して色々痛い目にあったことがあるw

 

そんな感情から生まれた「直感」はなぜ正しいのか?

それは「普通に言葉になるようなことは、しばしば、衝撃をごまかすためにつくられた理屈だったりするので、ほんとうの意味での論理性はない」からである。

それよりも抱いた直感に後々論理が追いついていくかどうかが問題であって、その時わからなくても後になって正しいとわかり、それを人にしっかりと説明できるだけの言葉があれば良い、ということだろう。

 

なるほど、これは確かに覚えておいて良いだろう。

こういった態度は男よりも女の方が鋭いのはある種、当たり前?

 

他者との遭遇こそ思考のチャンス

他者から与えられるインパクトなのだ。そういう衝撃がないと人は考えるようにはならない。考えるということは不安なものである。

不安だからこそ考えていると言ってもよい。その不安はどこから来るか。やはり、広い意味での他者との遭遇なのだ。それに対してどれくらい敏感であるかによって思考の深度は決まるところがある。

何も考えないの、閉じられた世界の中で安心しているからである。驚いたり感動したりするのは、自分の中で作られている世界に収まらないものを感じる時である。

そのときに思考が始まるわけだが、そこでしっかり考えないと人は元の世界に戻ってしまう。考えるということの最終的な産物は言葉であるから、それを言葉にしないと自分が感じた感情はその瞬間に消えていく。

生きていくうちにさまざまな体験をする。

ポジであろうがネガであろうが。その体験が意味をもち、長く人生に影響を与えるためには、考えて言葉にする作業が必要になる。何かすごく感動して、「これで俺の人生は少し変るかもしれない」と思うことがあっても、「結局、変わらないじゃん」ということがよくある。

その感動が少しは何か意味をもつようになるためには、やはり考えて言葉にする必要があったのだ。言葉は、感動を与えた「それ」を永続化する作用をもつのだ。

p42・43

思考は他者から与えられるものである。

考えてみれば当たり前だ。

人は生きている内に誰かと出会い、

触れ合うことで自らの感情が刺激され、思考を始めるからだ。

そして芸術作品や本などの文章を通して思考が活性化するのも、そうした他者の思考を受けることから生じる。

 

これは1人で家に引きこもってコツコツ仕事をしていると、やっぱり切実に感じる部分である。

やはり誰にも出会わずに黙々と仕事をしている思考が堂々巡りになってしまったり、思考が鈍くなってしまったりすることはよく経験する。

 

そんな時はあまり人に出会うのが好きではないという人も、本などを読んでみるというのがおすすめである。

本を読んでいれば割に安上がりに思考をすることができる。

本には色んな出会いや冒険が待ち受けている。そうした出会いやショックが自らの頭で考え続ける下地になるのだ。それを人は無意識にやっているのである。

 

思考をする上で大切なことはやはり他者を廃してはいけないということだ。

むしろそこから得た感動を、こうしてブログでもなんでも「言葉」という形で表すことで、世界が、いや、自分が変われるかもしれない。

そんな思いを無意識に抱いているから、

わしはブログなんてものを書き始めたのかもしれないw

 

だが、そうした「経験」から紡ぎ出された言葉は、やはり自分に色んな変化を与えるきっかけにはなるのだろう。

 

書くことにおける発見

書きながら、自分がワクワクし、ドキドキしていなければならない。執筆は、苦しい作業だが、まさにその苦痛の中に、あるいは苦痛を超えて、喜びがなければならない。

折口信夫は、弟子たちにいつも「心躍りのしない文章は書くものではないよ」と語っていたというが、まさにその通りである。どんなに深刻な問題、不幸な出来事について描いている場合でも、探求することそれ自体には、また書くことそれ自体には、やはり発見の喜びがある。そうしたものがないならば、書かないほうがよい。

p268

さらに言葉にする上でも「コツ」がある。

それは自らの感情が動いた部分を書けということである。

この文章自体も本を読んでいて自分が「おもしろい!」と思えるようなところを抜粋し、それについて自分の言葉で書いているのでまぁ良いのだろうw

 

ただ「心躍り」しながら文章を書いているかというと、そうでもないのだがw

それでも印象に残った部分を参照して自らの言葉で語るということは、やはり大事なことなのだ。

 

そしてそうした物事について書いていると思考がまとまってくるということはよくあることである。

自分でも知らずに言葉が繋がって、自分の思考が深まり、自らの考えに驚くということもしばしば訪れる。

 

それが「書く」ことの「楽しさ」なのだ。

 

ただわしは文章を書く事自体は苦手なので、

いつも四苦八苦しながらも、そのたまに訪れる「喜び」のために今日も文章を綴る。

 


びっくりするほど売れてますw
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