
ちわわ、ちわ~!おいさんだよ!
キミは
易って占いだと思ってたけど、違うのか?


易とは変化の理法を読み解くものなのじゃ
変化の理法…つまり未来を予測する学問ってことか?


いや、易は占いではなく、人生を自分で立命する智慧なのじゃ
なんのこっちゃわかんねえよ。

\ ココがポイント!/

『易とはなにか?』はただの占いや迷信としてではなく、「人生哲学」「人間学」の視点から読み解く指南書なのじゃ!!
安岡正篤は、易を「変化の理法を説く学問」「統計学的思考」と位置づけ、迷信的な解釈を排除しつつ東洋思想の深みに迫る。
内容は易学の基礎原理、八卦・六験といった人間観察の手法、筮法の実践理論にまで踏み込み、講話録形式で平易に展開。著者は「宿命ではなく立命する」姿勢を強調し、人生を自ら切り拓く智慧として易を活用する視座を提供する。ただし講話形式ゆえに断片的な印象があり、易に初めて触れる人にはやや難解な部分も。
人生哲学として易を学びたい中・上級者にこそ有用な一冊といえる。
易と健康
正直言ってそんなに興味はなかった。
だってなんとなく当たらなそうだし、素人がやってみても難しそうだったからである。しかし本書を読んでみてその考えが覆った。
何の話か?「易」の話である。
今回紹介する「易と健康」は、安岡正篤氏によって上下二巻に綴られた「易」に関する入門書。
しかし、入門書といってもそんじょそこらの占いの本ではない。
本書は占い方だけ解説した易のやり方を綴った本ではなく、とても3、40年も前に書かれた易に関する本だとは思えないような現代にも通じる奥深い話を交えて、易とはなにか?ということに多く言及された本なのである。
では、そもそも易って一体何なんだろう?
まずはそこから話を進めていこう。
変化することが易
「易」というものを一言でいうと「化」である。
これはつまり「造化」の「化」
「六十にして六十化す」というように、いくつになっても諦めずに変わり続けていくこと。六十になったら六十になっただけ、なお造化していく。
単なる変化ではなく、創造進化していく、造化していく、これが易の妙諦、易の真理なのだそうな。
また、易で大切なことは変易、簡易、不易の三つだ。
この本とは別に、台湾を民主化へと導いた李登輝氏の著書「台湾の主張」におもしろい記述があった。
そもそも「易」とは実は時間の方程式であり、変易、簡易、不易の三つの意義で説明することができる。
もし仏教の「三法印」と比較すれば、「変易」とは諸行無常であり、「簡易」とは諸法無我であり、「不易」は涅槃静寂を意味する。
わかりやすくいえば、
「時間は絶え間なく変化し、万物万象もこれに従い変動して停止しない。ところが、この無常の変化のプロセスの中に変わらざる真理が存在する。
そしてこの不変の本質を把握し、本来の変化を予測しようとすれば、必ず誠実な魂が必要とされる」
ということである。
なるほど、実にわかりやすいw
このように易はこの変わり続ける世の中を、自分の身の回りの生活に合わせながら絶えず自分の進むべく「道」を示してくれる「学問」であると解釈することもできるだろう。
そう、あくまで「学問」であって「占い」ではない。
そしてここが肝心なのだが「易」によって出た自分の運命は、宿命(逃れられない運命)として諦めず、どんどん変えていくことが重要だと本書は指摘する。
これを立命という。
易の本質は「立命」にある
立命。つまり自分の運は自分で切り開く努力が大事だということだ。
安岡先生もこの本で「街などで見かける売占、易者のように相手も運命を占って」当たった、当たらないと、まるで脅すようにお金を貰っているようじゃダメだ。易の本質はそんなところにない、と仰っている。
自分の運命を変えられないものだと自分の運命を宿命と捉え、創意、工夫を諦めてはダメなのだ。宿命論者ではなく立命論者になろうということだ。
だから、師である安岡正篤氏の名を借りて、悪どく商売している細木数子なんかはダメな例の典型だろう。
安岡正篤氏も「金もうけの為に易をやるなんて、つまらんからやらんけど、もしやっていたら、しこたま儲けられていたんだろうなw」と仰っている。
すごい(;´∀`)
もし安岡正篤が占いを専門でやっていたとしたら、細木数子なんかよりも、もっとすごい占い師になっていたんだろうねw(*´∀`*)
易は無の学問
最後に、易について安岡先生はこう仰っている。
味でもそうでありまして、甘いなんて味は、(中略)これは一番つまらない。
甘いというものがやがて渋いとなり、苦いとなる、というところが本当の味というものがある。(中略)
結局、味わいの至れるものは無の味だ。無の味とは何かといえば、水だということになる。
そこで、君子の交わりは淡として水の如し。(中略)
それじゃつまらんじゃありませんか、何も味がない、というふうにいう人がよくあるんですけれども、そうではないんです。至れる味わいというのは、甘いとか渋いとか苦いとかではなく、何とも言えない無だ。
君子の交わりは淡として水の如し。これは水くさいというものではない。水くさいものなら、君子の交わりはつまらん。そうではなく、いうにいえない味だと。無の味わいだ。それで初めて意味がわかる。
現に、人間は死に臨んで「水をくれ」というんで、死に臨んで「砂糖をくれ」という奴もない。(中略)
それほど水というものは、本当の味があるものです。
易はそういう意味において、非常に無の味、無の学問といっていいんです。
なるほど、易は学べば学ぶほどその妙味が出てくる奥深い哲学で、「易」というものは年を取れば取るほどおもしろいものらしい。
年を重ねた上で易を読むと、この上なく奥深いものがあるんだと安岡先生は言っている。
皆さんも試しに本書を覗いてみてはいかがだろう?
これを読めば、街で見かける売占が馬鹿らしくなるかもしれない。
良いところ
あらすじ
本書は易学の理論と実際を講話形式でまとめた講話録。
まず易学の根本原理を、「陰陽」「変化の理法」「統計的視点」として説き出し、易を「統計学としての人生観」として再定義する。次に八卦・六験といった易における人間観察の手法を紹介する(例:「喜ばせてどう守るか」「怒らせてどう対応するか」など) 。さらに筮法の具体的な方法や変易の考察を通じて、易経の卦をどう読むかを現代語で解説。最後に「宿命ではなく立命する」ことを易学の本質と位置付け、人間が運命を主体的に切り拓く生き方を提唱する。
全体を通じて易経を占いの域に留めず、人生哲学の領域へ引き上げるアプローチが貫かれている。
では以下に良いところを挙げていこう!
易を「人生哲学」として再定義
安岡は易を単なる占術ではなく、「変化の理法を説く学問」「統計学的思考」として位置付け、人生を自ら選ぶ智慧と捉える。これにより、読者は易を自己成長や未来展望のための実用的フレームワークとして活用できるようになる。
人間観察に使える「八観・六験」の実践性
本書では「八観」「六験」といった易学特有の人間観察法を紹介。
例えば「喜び・怒り・恐れ・苦しみ」の反応から相手の本質を測る手法は、現代でも人間関係や経営、リーダーシップに応用可能である。
断片講話でも深い洞察が得られる構成
講話録形式ながら陰陽理論や筮法解説、立命思想に至るまで幅広いテーマをカバー。
断片的でありつつも一貫した思想が展開され、易初心者より中級者にとっては実用的な知見の宝庫となる
気になった方はこちらからどうぞ
悪いところ
では以下に悪いところ挙げていこう。
講話形式ゆえ細部が断片的
講演録スタイルのため、論理的なつながりがやや希薄な部分があり、書籍としての読みやすさや構成の明確さには欠ける印象がある 。
初心者には専門用語が多く難しい
「筮法」「八観・六験」「繋辞伝」など易学の専門用語が多く、東洋思想初心者にはハードルが高い内容。注釈や補足解説なしでは理解が深まらない可能性がある 。
占い的解釈への反発も一部に
「易=占いの迷信」というイメージを持つ読者からは、反発を招く可能性あり。「占いじゃない」という強調がかえって偏見を生むこともありうる。
そこらへんは好みだろうけど、気にならないヤツは気にならないだろうな。

まとめ
こんな人におすすめ!
- 易経を人生哲学や統計学として学びたい人
- リーダーシップや人間観察を実務に活かしたいビジネスパーソン
- 「宿命」ではなく「立命」を生きる姿勢を養いたい人
『易とはなにか?』は安岡正篤が易経を東洋思想・人間学の視点から読み解く入門講話録である。
易を占いではなく「統計学的な変化の法則」として再定義し、八卦や六験による人間観察、筮法の理論、そして「宿命ではなく立命せよ」という人生哲学を提示する。講話形式による柔らかい語り口と断片的な構成は、易学初心者には挑戦ではあるが、中級者以上には深い洞察と実用的知識を提供する。ビジネスや人生設計の指針として易を活用したい読者に最適だ。
東洋思想に興味がある人、運命への主体的なアプローチを求める人こそ、本書から多くを得るだろう。!

易は単なる占いに非ず。己の立命を拓く道具であるのじゃ。