
ちわわ、ちわ~!おいさんだよ!
キミはハヅキさんのことを知ってるかい?
誰だよ、そいつ?


今回紹介する短編の話じゃ!
でも普通のドラマも何もないし、正直“うーん”って感じ。


そこじゃ、川上弘美は“虚と実のあわい”を描くのが得意なのじゃ!
虚と実? なんか難しそうだな

\ ココがポイント!/

『ハヅキさんのこと』は、川上弘美の“掌篇小説”集であり、短いながらも鮮やかな余韻を読者の心に残す秀作なのじゃ!!
23編の掌篇はエッセイ風でありながら小説の構造を崩さず、日常の細部に潜む不思議な感覚を掬い取っている。
典型的なのは水かまきりを見つめる幼さと愛情の対比、あるいは浮気や別れの淡い記憶が胸を締めつける瞬間だ。文字数では語りきれない“あわい”が全集中することで、読むたびに違った響きを持つ。読書メーターなどでも「じゅわじゅわ染み込んでくる感じ」や「読むというより吸収する感じ」と評されており、noteでは「恋ってこういうものだったなと思い出した」と共鳴されている。本書は、軽く読めてしまう掌篇の域を超え、記憶や感情の断片にふれることで、深い読後感を提供する作品集だ。
ハヅキさんのこと
ゆるくてムダのない文体の中になんとなく体を持っていかれる。
それがこの本の第一印象だ。
色んな話があった。
全体としてはふんわりしているというか、ぼんやりしているというか、この梅雨の時期に読み始めたということもあるのだろう。なんというか、非常にこの季節にあった物語をなんとなく読んでしまった、そんな感じがした。
この著者の川上弘美という人の本は今回これが始めてだったのだが、これがこの人の持ち味なのかそれともこの本だけの文体なのかよくわからないが、著者のあとがきによると本書は最初エッセイのつもりで書いていたものを途中で短い小説として書き出したというのだから、エッセイと小説のハイブリットみたいな感覚で読み進めてしまう不思議な小説だ。
透明感は短さゆえか
表タイトル「ハヅキさんのこと」は後半部分173ページから始まる。
不真面目な教師と自称する二人の女教師が、なんとなく馬が合うことから酒を飲み、何故か酔いつぶれてラブホテルに向かってしまうという物語だ。
読んでいて「そうか…世間にはこうした先生もいるのか」と妙に感心させられてしまったけど、なんとなくこの二人の自堕落なところがありえないようでしかし逆に際立っていてリアルな感じがする。
この何とも言えない現実と非現実の入り混じったような感じを与えられるのも、やはりこの本に収められている文章がどれも短いから、というのもあるのだろう。
長編小説でこのふわふわしたような空気感を長いこと維持して物語を読み進めるのは困難だし、なによりも読み手の方が飽きてしまうかもしれない。
こんな風にリアルと非リアルを行き来しながら、女性が書く文章にしてはすごく洗練されスッキリした文体に、どこか北方謙三氏の文章に通じるような世界観を持ちながらも、こちらはごく普通の日常、それでいてよく考えると不思議な世界へと読者を導いてくれる、本書はそんなギリギリのラインを巧みに操りながら、読者を束の間ここではないどこかへとしっかり誘ってくれる不思議な本だった。
透明感が梅雨にマッチして
特にわしは前半の「琺瑯(ホーロー)」「ストライク」なんかの半透明な世界観がすごく好きだ。
「かすみ草」なんかは出世コースを歩んできた夫を持つ妻の話だが、これなんか高学歴で世間の目には華やかな出世街道をひた走ってきた典型的なエリートの、家庭の裏側を見ているようで何とも言えないリアリティがある。
ただ多くの読者がそうであるように、わしはこの夫の傲慢な感じは非常に鼻持ちならない嫌な奴として受け入れられないのだが、妻の方は人として主体性のない感じを持ちつつ、どこまでも淡々ともずからの物語を語る様に、言いようのない透明感がつきまとう。
それ故にどこか幻想的でありながらも、現実の虚実を行ったり来たりしている感覚が読んでいていつも感じられ、語られる現実は過酷なのに、語っている本人はどこかここにはいないような印象さえ読み手には与えているのだ。
そのギャップに何とも言えない感覚を抱いてしまうのだから、この作者はかなりウマい人なのだと言うしかない。
そんな何とも言えない透明性に満ちた文章が、この梅雨時期に読むとそこまで物語に近づきすぎることなく、絶妙な距離感で真に迫ってくるような気がするから不思議である。
この湿気のうっとおしい梅雨時期に、
家の中でじっと息を密めて読んでみるのも良いかもしれない。
良いところ
あらすじ
『ハヅキさんのこと』は著者自身の思い出や日常から抽出された23編の掌篇で構成された短篇集である。
作品群は、日常の一コマを切り取るように描かれ、主人公たちはふとした風景や出会いに心を揺さぶられる。たとえば、水かまきりをじっと見つめる幼女と戦力外で戻った少年の静かな共鳴を描いた「水かまきり」、浮気相手と一時的に過ごした淡い時間、同級生との再会、屋上での出来事などが揃う。いずれの掌篇も短く、劇的ではないが、読むとその余韻がじんわりと胸に染み込む。読書メーターのレビューでは「居心地がいい」「すっと世界に取り込まれる感じ」と評価され、あっという間に読み進めてしまう 。
川上作品の特徴である「虚と実のあわい」に位置する作品たちは、どこか現実離れしながら、確かに自分の体験とも重なる普遍性があり、何度でも読み返したくなる質感を持っている。
では以下に良いところを挙げていこう!
短くも深い“余韻”を刻む掌篇構造
本書の魅力は掌篇という形式に凝縮された余韻の深さだ。わずか数ページで完結する短編は、一見淡々としているが、終わった瞬間に胸の奥がじんわりする。読書メーターでは「読むというより吸収するという感じ」「じゅわじゅわ染み込んでくる感じ」と評されており、その感覚こそが本書の最大の武器となっている。
日常と非日常の“あわい”をすくう筆致
川上弘美の作風の真骨頂は、“虚と実のあわい”にある。noteで「エッセイのような小説。小説のようなエッセイ。虚と実のあわいにあるもの」と書かれているように、日常の一瞬に漂う非日常感を絶妙に捉えている。水かまきりや浮気、同級生との再会など、どこかに心当たりのある風景が、観察者の目によって特別に描き出される。
読むたび違う響きを持つ再読性
短い掌篇で構成されているため一度読み終えても覚束ない印象を受けるかもしれないが、実は再読するたび感じ方が変わる深みがある。gooブログの感想では「最後まで読み終えた後、また最初から読み直したくなる本」と記されており、自分の記憶や情緒と交差することで、多様な読み方が可能だ。
気になった方はこちらからどうぞ
悪いところ
では以下に悪いところ挙げていこう。
劇的展開を期待する読者には物足りない
掌篇形式のため、ドラマチックな展開やカタルシスを求める読者には刺激不足と感じられる。淡々と進み、余韻に委ねる構造ゆえに「メリハリに欠ける」「物足りない」との声もあり。
人によってはキャラが薄く感じやすい
各編に登場する人物たちは短いエピソードの中だけで描かれるため、情感の深さは残るもののキャラクターとしての立体感に乏しいと感じる向きもある。短いゆえに「すぐに融けて消えてしまう世界」との評も存在する 。
抽象的すぎて読後の印象が掴みにくい
“虚と実のあわい”を描く独特の文体は魅力だが、反面で抽象的すぎる印象も与えやすい。実体験か幻想か曖昧なまま終わるため、明確なテーマや目的を求める人には不満が残る可能性がある。
そこらへんは好みだろうけど、気にならないヤツは気にならないだろうな。

まとめ
こんな人におすすめ!
- 日常の細部に潜む非日常な感覚を味わいたい人
- 再読するたび新たな響きを得たい読書家
- エッセイ的な軽さと文学的余韻を両立した作品を探している人
『ハヅキさんのこと』は一読では気づかない深みを掌篇の中に詰め込んだ川上弘美の傑作集である。
日常のふとした瞬間に漂う非日常を“虚と実のあわい”という独特な文体で捉え、読者の記憶と感情をそっと揺らす。読むたびに異なる響きを持つ構成であり、短いからこそ心に留まる余韻が光る。一方で、ドラマや劇的転換を期待する読者には物足りなさも否めない。しかし、「じゅわじゅわ染みる」「読むより吸収する感じ」とあるように、静かでも確かな余韻を求める人にはたまらない一冊だ。
日常の中に潜む小さな不思議を感じ取りたい人、再読のたびに違う景色を見たい人にこそ相応しい!

日常の隙間に宿るかすかな瞬間を逃すなかれ──その余韻は、思いのほか深く魂に染み込むのじゃ。