
ちわわ、ちわ~!おいさんだよ!
キミはスチュアート・ダイベックは好きかい?
その短編集を紹介するのじゃ!
短編集?
⋯なんか中途半端だなあ。もっと長いのはないのか?


そう思うのは、まだ"間"を楽しむ余裕がないからじゃ。
でも『シカゴ育ち』って、名前からしてなんだよって感じじゃん。


『シカゴ育ち』はまさに都市と記憶が織りなす詩情なのじゃ。
ああん?よくわかんねえな。

\ ココがポイント!/

『シカゴ育ち』は、スチュアート・ダイベックによる、都市シカゴを舞台とした喪失と成長を静かに描いた短編集なのじゃ!!
直接的なプロットに頼らず、余白の多い文体と詩的イメージを駆使し、読者の感受性に訴えかける構造になっている。
派手な事件も解決もないが、だからこそ都市に生きる人々の小さな感情や瞬間が丁寧に浮かび上がる。特に、少年の視点から語られる作品では、過ぎ去った時の温度が絶妙に再現されており、読む者の記憶の奥にある何かを呼び起こす力がある。
いわゆる物語性を求める読者には物足りないかもしれないが都市文学や詩的散文を好む読者にとっては極めて完成度の高い作品である。
シカゴ育ち
いや~、やはり柴田元幸氏の訳した小説はおもしろい!
外国文学好きのわしとしても、今回もハズレなかったと言っていい出来の素晴らしい小説である。
今回ご紹介するのは久々の外国文学シリーズ、スチュアート・ダイベックの「シカゴ育ち」
今回初めてスチュアート・ダイベックを読んだが、一体どんな人なんだろう?
本書は一言で言うと、「シカゴという街を都会的に見たのではなく、土着的な下から見た感覚」で描かれる7つの短編と7つのさらに短い短篇が集められて構成される不思議な空気感の短篇集である。
不思議な空気感とは、とにかくこの作品、一見シカゴと銘打っているけど読む前に想像していたいわゆる「ゴミゴミした工業地帯、犯罪都市シカゴ」というイメージとは全くちがうシカゴが、静かで、時に暴力的な様子をそこはかとなく醸し出しながら描かれている。
蒲田とシカゴの不思議な共通点
そこには幻想的で退廃的なシカゴという街が抱えている、もう一つの庶民の暮らしの光と影(特に影)の部分を大きく写しだしていると言っても良いだろう。空気感とはそのような感じのことだ。
それほどまでに、本書にはどこか工業地帯周辺で暮らす名もない人々の閉塞感が、油の臭いとともにこちらまでに漂ってくるような錯覚を覚える。
これを訳した柴田元幸先生は、自身が幼少の頃から住んでいた京浜工業地帯の蒲田にどこか空気感が似ていて、訳しいるとその世界観にすんなりと入り込むことが出来た、と言っている。
それほどシカゴというの街の空気感が、当時、柴田先生が住んでいた蒲田周辺の空気感と、どこか不思議に共通するものがあったらしい。
そんな話を読んでいてわしは、「一つの小説が、そういう時代や国境を超えて、不思議な親近感を感じさせるようなことが起こるものなのか」と、なんだか不思議な気分にさせられた。
しかし、それが物語を読む意義なのだろう。
物語は国境を超える
海の向こうの国、アメリカと、わしらが住むこの日本の工業地帯で起こっているできごとが、一つの小説を通して、読者(この場合はの例は柴田元幸氏だが)の心に深い所でなにかが繋がり、自分の心に深く語りかけてくる。
そして遠い国のお話でも、自分が感じたように追体験することが想像力というものなんだろう。
それが物語の深さ、そして物語の面白さにつながっているように思える。
もちろんそれ以外にも、本を読む意義は色々あるのだろうが、そうしたことを感じることが、こと小説を読むことの醍醐味なのだろう。
本書のように時代と国境を超えて語りかけてくる不思議な空気感を持つ小説が「良い小説」なのかもしれない。
読み終わった後、そんな感慨を胸に本を閉じた。
良いところ
あらすじ
『シカゴ育ち』は、全11編からなる短編集であり、どの物語もシカゴという都市の一角、もしくはその影響下にある人物の感情と記憶を軸に展開される。
例えば、「熱」は幼き日の愛と情欲の交錯を、「リカー・ストアの愛」では日常の中に潜む非日常的感情を、「サイド・ストリート」は都市の片隅で感じる疎外感と幻想を描く。それぞれの物語に明確な筋や結末は存在しないことが多く、むしろ断片的で曖昧な終わり方が特徴だ。しかしそれが逆にリアルでまるで記憶の断片を手繰るような読書体験をもたらす。
音楽、風景、匂いといった感覚的要素も多く、都市の中で生きる人間の複雑な心の動きを象徴的にとらえている。
では以下に良いところを挙げていこう!
都市の風景と記憶が詩的に描かれている
『シカゴ育ち』の最大の魅力はシカゴという都市の姿を"詩"として描いている点にある。
建物、匂い、音、空気感が描写の端々に溶け込み、読者の五感を刺激する。単なる風景ではなく、それが人物の内面と強く結びついていることで、都市自体がひとつの登場人物のような存在になっている。特に移民家庭や少年の視点から描かれる街並みは、哀愁と愛着を同時に感じさせる。
「余白」の使い方がうまく、読者の解釈を尊重する
本作の語りはしばしば断片的であえて説明を避けている箇所が多い。
だがそれが読者の想像力をかき立てる。文学の楽しさとは、書かれていない部分をどう読むかにあるという前提に立つなら、この作品はその醍醐味を最大限に味わえる。物語の意味を一方的に押し付けるのではなく、読者が読み手として能動的に参加できる構造がある。
少年期・青春の感覚を繊細に描いている
少年が初めて女性の体を意識する瞬間、夜の街を歩く感覚、祖父の死に触れたときの静かな動揺
――そういった一瞬の感情を切り取る筆致が極めて美しい。これらは誰もがかつて経験したであろう「失われた時間」であり、それに触れるたび読者はどこか切なく温かい気持ちになる。このような文学的体験は他のエンタメ作品ではなかなか得難い。
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悪いところ
では以下に悪いところ挙げていこう。
ストーリー性に欠けると感じる人も
はっきりとした起承転結がないため、読書にある種の目的性や展開を求める人には向かないだろう。読後に「で、どうなったのか?」と感じてしまう可能性もある。
文体がやや読みにくい箇所がある
詩的であるがゆえに、比喩や抽象表現が多く、リズムがつかみにくい部分もある。特に翻訳では文体の味が失われやすいため読解に少し集中力を要する場面もある。
文化的背景に理解が必要
シカゴの歴史やアメリカの移民文化を前提とした描写が多く、日本の読者にとってはピンと来ない部分もある。物語の深層を理解するには一定の文化的文脈が必要だ。
そこらへんは好みだろうけど、気にならないヤツは気にならないだろうな。

まとめ
こんな人におすすめ!
- 都市を舞台にした詩的な文学が好きな人
- 明確な結末よりも、余韻や雰囲気を楽しみたい人
- 短編形式で多様なテーマに触れたい読書家
スチュアート・ダイベックの『シカゴ育ち』は、詩的な都市文学の代表作である。
明確なストーリーではなく、感情や記憶、都市の空気を切り取ることで、読者に深い余韻を与える。読みにくさや文化的前提があるものの、それを乗り越えれば得られる文学的体験は非常に豊かだ。
静かながらも力強い短編集として、時間をかけて味わうに値する一冊である!

この一冊は読む者の心に静かに沁み入り、いつしか記憶の片隅に住みつく本なのじゃ。