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なぜポケモンは世界を征服できたのか?知られざる裏側に迫る!

2016年10月12日

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なぜポケモンは世界を征服できたのか?知られざる裏側に迫る!

2016年10月12日

※本サイトはアフィリエイト広告を利用しています。
ドラねこ
ドラねこ

ちわわ、ちわ~!おいさんだよ!

キミはポケモンは好きかい?

ポケモンってなんであんなにヒットしたんだろうな?

まいける
まいける
ドラねこ
ドラねこ

うーむ、ヒットするにはそれなりの理由があったのじゃ。

昔のゲームって雑だったし、あれがたまたまバズっただけなんじゃねえの?

まいける
まいける
ドラねこ
ドラねこ

バカモノォ!

ポケモンヒットの裏側にはそれなりのサクセスストーリーがあったのじゃ。

それは今回紹介する本書を読めばわかるのじゃ!

へぇ、どんな話なのか気になってきたぜw

まいける
まいける

\ ココがポイント!/

ドラねこ
ドラねこ

『ポケモン・ストーリー』は、「ゲームフリーク」という弱小開発会社が世界最大級のエンタメブランド「ポケットモンスター」を作り上げた軌跡を追ったドキュメントなのじゃ!!

本書の本質は奇跡的な成功談ではなく、「継続・信頼・戦略」の三拍子が揃った“地に足のついた挑戦”であることにある。何度も資金が尽き、崩壊寸前まで追い詰められながらも、諦めなかった男たちの物語は、単なるゲーム開発の枠を超え、ビジネス書としても起業論としても示唆に富んでいる。
読後、「ポケモン=偶然の成功」と考えていた自分が恥ずかしくなるだろう。これは“戦略的な情熱”の勝利の記録である。

ポケモン・ストーリー

わしは年齢的にはポケモン第一世代といっていいだろう。

 

そんなわしとポケモンとの出会いは小学3年生の時だった。

何気なく友達に借りたこのゲームボーイソフトを、ファーストプレイは文字通りのめり込むほどやりこんで、全クリした時わしは感じた。

 

このゲームはおもしろい!(*゚∀゚)

 

今までやって来たゲームボーイソフトで、

ここまで密度が濃くってやりこみ要素のあるゲームはそれまでなかった。

その後結局どうしても自分のポケモンが欲しくなり、慌てて誕生日のプレゼントに親に買ってもらってしまった。しかも2つもw

 

ええ……買いましたよ。「」と「」をw(;´∀`)

それからというもの毎日それこそ寝食を忘れてポケモンを取りまくった。

 

147匹を取ったところでデータが消えた時は、思わず目から血が吹き出しそうなほど哀しんで、文字通り「悶絶死」しそうになったけど、そんな涙の経験を乗り越えて、それからはいかに最強のポケモンを作るかで血道を上げる仁義なきポケモントレーナーとして血で血を洗うような世界でいつもシノギを削っていた(近所の友だち連中とw)

そんなわしがのめり込んだポケモンが、最近はポケモンGOのおかげで再ブレイクを果たし、世間をびっくりするほど賑わせている。

 

一体コレはどうしたことだろう?

なぜ今頃になって世間では頃ほどまでにポケモン、ポケモンと騒いでいるんだ?……去年までは妖怪ウォッチに押されていたのに(;´∀`)

 

そんな世界中で愛されるポケモンが、なぜにコレほどまで世界中の人間に愛されるまでのコンテンツになったのだろうか?本書を読むまでどのような経緯を経て、ポケモンがここまでビッグビジネスになったのかその全貌を全く知らなかった。

 

「ポケモン・ストーリー」はそんなわしらが子どものころから慣れ親しんできたポケモンの制作秘話を、制作会社のゲームフリーク、任天堂、そして小学館とそれぞれの視点から語る、目からウロコのビジネス書である。

 

町田の昆虫少年の「夢」から始まった

ポケモンの関係者でまず真っ先に上がる人といえば、大元であるゲームを作成した田尻智(たじりさとし)氏だ。

 

町田の昆虫少年として育った田尻智氏は「ゲームセンターあらし」に出て来そうな生粋の天才ゲーマー

インベーダーゲームやゼビウスなんかに夢中だった彼が、ゲームをやるに飽き足らず実際にゲームを作ってしまおうとしたところからゲームフリークという会社は誕生した。

 

この会社がポケモンを開発したことによって、後に任天堂、小学館とタッグを組んで巧みな販売戦略を駆使してポケモンを世界的なコンテンツへと押し上げることになる。

ではなぜそんな昆虫採集に夢中だった少年が、ポケモンという偉大なゲームを作ろうと思ったのだろうか?

 

巻末にある田尻氏のロングインタビューから抜粋してみよう。

ぼくは、13歳でインベーダーゲームに初めて向き合って以来、ゲームをやりながら育ってきた人間なんです。

なぜそういうことになったかと言うと、ゲームはどうしておもしろいんだろう?どうしてオレはゲームを面白いと思うんだろう?どうしてオレはゲームをこんなに、大晦日も正月もね、やってしまうんだろう?というようなことを考えてきて、そのうち面白いゲームってどういうものかと分析するようになったわけですね。

その発見をみんなに知ってもらおうとゲームフリークを始めたわけですが、それでも言葉で伝えられないものはいっぱいあったわけです。

そのもどかしさとか、怒りとかね、そういうものを糧にして、オレにとってのゲームというのはこういうものなんだということを示そうと作ったのが『クインティ』でね。

ポケモンはそこにさらに、ぼくの知識とかゲームというものの歴史とか、ぼくの人生のすべてを駆使して作っていったわけです。ゲーム文化の凝縮というかね。具体的には、ぼくの少年時代を全部、ゲームの中に表現したいと思ったわけです。ぼくがあの頃に受けた知的刺激ですね。それを全部、ゲームに封じ込めたかったわけですよ。

だからあれは、子どもたちにっていうよりも、実はぼくと同じ世代の人たちに、こんなことがあったでしょって、伝えたいっていう気持ちですね。でもそれが子どもたちにも伝わったわけですよ。この物世界は変わらないっていうかね、時代が変わっても、子どもが面白いと思うことは同じなんですね。

「ポケモン・ストーリー」p134

「ゲームはどうしておもしろいんだろう?」

という発想からそれこそのめり込むほどゲームをやりまくったというところが田尻智氏のすごいところだ。

こんな風に自分が好きなものに対してすべてを投げ打って身を投じてしまうような人が世間をびっくりさせるほどのビッグコンテンツを生み出すのだろう。

80年代当時、ゲーム界は大きな転換期にさしかかっていました。急速に進化し始めたコンピュータ・テクノロジーがゲーム機に続々と取り入れられていったのです。それまで平面の線画でしかなかったパックマンが丸みを帯びた立体として描かれたり、より複雑な動きをするインベーダーゲームが登場したりしました。

しかし、田尻はそんなゲームを見るたびに、がっかりしてしまいました。ビジュアルがいくらリアルで複雑なものになろうと、ゲームそのものは「パックマン」であり「インベーダーゲーム」であることに変わりはなかったからです。

そうじゃない、そうじゃないんだ!田尻は思いました。

それじゃあ、コンピュータというハードのテクノロジーに頼っているだけじゃないか!ゲームのおもしろさは、ビジュアルの立体化や複雑さにあるんじゃない。アイデアそのものにあるんだ、ゲームの仕組みにあるんだ。そのことにどうしてみんな気づかないんだろうー。

p33・34

この話を、最近では映像美にばかり気を取られて、ゲームの面白さを置き去りにしてしまった、どっかの大作RPGを作っているゲーム会社に聞かせたいw

ちなみに、TVアニメの「サトシ」はこの田尻「智」氏から取られているのだという。

そして主人公のライバル「シゲル」は、田尻氏が尊敬する「スーパーマリオ」の生みの親・宮本茂からとったのだそうな。

 

「カプセル」モンスターが「ポケット」モンスターに

そんなポケモンが、最初はポケットモンスターではなくカプセルモンスターと呼ばれていた、というの知る人ぞ知る事実だ。 

タイトルとしてカプセルモンスターという言葉を使わなかったのは、商標権の問題が

あって「カプセルー」という言葉が商品名に使えなかったからでした。ですから致し方のないことだったのですが、田尻にはほろ苦い選択でした。「カプセル」という言葉には、少年時代へのノスタルジーが込められていたからです。タイムカプセル、カプセル宇宙船、冬眠カプセル、カプセル怪獣……。小学校時代に、文集や絵を詰めたタイムカプセルを校庭の片隅に埋めたことのある人もいるでしょう。あるいは、駄菓子屋の隅っこに置かれた不思議な機械、ガシャガシャとかガシャポンとかガチャガチャなどと呼ばれていたあの機械に、100円玉を入れてレバーをガシャガシャ、ガチャガチャ動かし、球体のカプセルが出てくるのを固唾を飲んで見守った経験は誰にでもあります。

カプセルという言葉は、少なくとも田尻たちの世代までは、少年時代のSF的世界への入り口でした。いわば万能の容器です。カプセルという言葉には、そうした少年時代の記憶がいっぱい詰まっていたのです。

カプセルでなければ、ではどんな容器がふさわしいだろうか?田尻は、モンスターたちをしまっておくにふさわしい、カプセルに代わる容器を新たに考えなければなりませんでした。

「それならボールはどうだろう」と、誰かが言い出しました。「モンスターボール」です。なるほど。田尻のイメージでは、格納するときはモンスターたちはデジタルデータ化されます。映画「トロン」でコンピュータの中に人間が入っていくのと同じような仕組みです。ですから、モンスターの格納器は小さなハイテク装置になるのですが、そのいめーじが損なわれていないのであれば、ボールであっても問題はありません。

p99・100

「モンスターボールは子どもが片手で握れるくらいの大きさで、いつもポケットやカバンに入れて持ち歩けるんだよ。だから『ポケットモンスター』はどうかな」という発案で「カプセル」モンスターは「ポケット」モンスターに変更になったという話に、わしは関心するものがあった。

なぜならわしが初めてポケモンのモンスターボールなるものを見た時感じた「ガシャポンみたいだな」というわしの第一印象と同じだったからだ。

 

田尻氏は「カプセル」という言葉を使えなかったことに忸怩たる思いがあったようだが、だけどやはり結果を見ると、ゲームのタイトルを「カプセル」ではなく「ポケット」にしたというのは英断だったのではないだろうか?

「カプモン」よりも「ポケモン」の方が響きが可愛いもんねw

 

ポケモンの本質は「交換」という動詞にある

ポケモンが他のゲームよりも何よりも画期的だったのは、ゲームボーイの通信ケーブルを使って、これまでにないデータを「交換する」ということをメインに置いたことだ。

企画書のポイントは、ひとが欲しくなるような怪獣をお互いが持っている、そしてお互いに持っていない怪獣を交換して両方共特をしたら、それで仲良くもなれるということでした。その土台にゲームボーイがぴったりだ、というわけです。

ではゲームにするときに、大切なものは何か。

A君とB君がモンスターを交換してA君のものだったモンスターがAくんの知らないC君のところまで行くっていうことなんですね。するとB君というのを媒介にして、本来はコミュニケーションのなかったA君とC君の間の関係性が成り立つんですね。そういう遊びが具体的に作られれば成功だと思ったわけです。

p487

確かにあの頃のわしの実感としては、ゲームボーイに通信ケーブルというものがあるのは知っていたが、それはもっぱらテトリスなどのパズルゲームにおいて「対戦」という意味合いで使われるものであった。

そこにデータを「交換する」という発想はそれまでのゲームにはなかった。

それこそがポケモンの「新しさ」だったのだ!

 

……最近のポケモンGOではまだこの「交換」は実装されていないが。

それでも子供同士、近所の子供達みんなで集まって、このポケモンのデータを「交換する」ことによって、学年の壁を超えて今まで話したこともなかった年上や年下の子どもと仲良くなり、最終的にはより多くの友達の輪が増えていったことは、実感としてわしもよく覚えている。

それで交換する時に、そもそもなんで交換するのかっていったときに、最初に欲しくなるものをあげるっていう動機のほかにも、強力な動機付けが必要だと思ったんで、たとえば里親のように自分のものを相手に預けることで、お互いが得をするという仕組みを打ち出せないかと思ったわけです。そうすると、人の場所にポケモンが移動したときに、ちょっと早く育つとかちょっと強力になるという風になれば、それがわかれば交換する動機になるなあと思ったわけです。

ところが、自分のゲームボーイがどうかということをどうやって知るのか、ということが問題になるわけですよ。

で、そのためには、乱数で自分のカセットのIDナンバーっていうのを、6万5000くらいの数字の中から選び出して、それぞれ勝手に付ける。カセットのIDが乱数で決まったら、そこから生まれでてくるポケモンのIDナンバーはみんなその番号なわけですよ。そうすると、乱数でIDナンバーがついてるわけですから、確率としては6万5000人と交換しつづけない限りは、同じ番号の人と交換することはないですから、ぼくとキミのIDナンバーは違うよねっていうことで、それぞれ別の世界が持てるっていうことになっているわけです。

それで、IDナンバーをつけてゲームを続けていくと、カセットを買ったときにすでに全員がそれぞれカセットが違うんですっていう理解でカセットを買ってもらうという風に、宮本さんに話をしたんです。そうしたら、仕組みとしては面白いけど、ちょっと分かりにくいなといわれたんです。やっぱり、見て分からないといかんのやないかって宮本さんが言って、色が違って見た目が違えばよう分かるって言ったんで、へえ、そんなことしてもいいんですかって言ったんです。そうしてもらえれば、ぼくは助かるけどって。

だからIDナンバーが違うっていうことを言いたいがために、象徴的に色を変えるというアイデアが出てきたわけです。だけど現実としては、色も変えましょうと。色も変えるんだったら、もうちょっとがんばって、色がちがうんだからもう少し、色によっていろいろ違うっていうふうにしなければならないということになったんです。

だから、五色とか七色作りたいなあって思うんだけど、現実問題としてそういうことはできないわけだから、とりあえず、最低の二色だということになって赤と緑になったけですよ。

p501

なるほど、だから初代ポケモンはあんなにたくさんの色があったんだね^^;

その戦略にまんまと乗せられてわしは青を買ってしまったよw

 

ちなみにその時採用された「赤」と「緑」という色は、任天堂の「マリオシリーズ」のマリオとルイージの帽子とシャツの色から決まったんだそうなw

この二色に加えて、ツナギの「青」を加えた三色が、任天堂の暗黙のシンボルカラーになっているだそうだ。

「丸々6年とはいいませんが、少なくともたっぷり2年間、田尻君や田尻君のチームの思いやアイデアを結集してまとまったものですから、それは中身が濃かったですね。遊んでも遊んでも新しいゲームの窓がたくさんあるという感じでした。遊びの位置づけが非常に直感的だったことも大きんですけれども、バランスがとてもいいんですね。

ぼくたちはこれまで、主人公のA君は剣と盾を持って冒険の旅に出て、それで経験値とお金を得て、新しい剣と盾を買いましたっていうのをずっとやってきたわけです。主人公が成長してゆくんですね。けれどもポケモンでは、主人公自身は何の成長もなくて、もちろんバッジを得ることによってトレーナーとしての能力は高まるんですけれども、一番の成長の対象になるのは、ポケモンと呼ばれる生きものたちなんです。

彼らをどんな手段で捕まえ、どんな編成で連れて旅をするのかが本編なわけです。それを実現するために、野生のモンスターを弱らせて、ヒットポイント(HP=体力)を減らしていって、減ったところでモンスターボールを投げると、モンスターはあきらめて捕獲されてしまう。十分弱らせていないと、捕獲できないことも多いんです。

この野生のポケモンは、いったん捕獲したら自分のモンスターとして名前をつけて成長させることができる。でもそれをすぐに戦いに出そうとすると、捕まえるためにかなり弱らせているので、回復させなくちゃならない。捕まえるためには弱らせておかないといけないんだけど、つかまえたあとですぐ戦いに出そうと思うと、弱っているのですぐやられてしまう。

一方で、モンスターはやっつけないと経験値がもらえないので、捕まえるために戦ったモンスターは経験値が得られなくて成長の足しにはならないとかですね、そういう細かなやりとりがたくさんあるんです。あちらを立てればこちらが立たない、でもこちらが立たなければこういう利得があるといったところが、まさしくゲームバランスというものだと思うんですけれども、その遊びの仕組みのバランスが絶妙だなって思ったんです。

この遊びの仕組みのバランスが絶妙だなっていう感じははじめからあって、それをどこまで深められるかっていうのが、ポケモンの難しさだったと思うんです。それを、スタッフみんなの力だと思うんですけど、田尻君たちは実現してしまったわけです。」

p137・138

このように、幾度もの危機と進まない開発を乗り越え、どこまでもゲームを愛する男たちによってポケモンは誕生した。

 

しかし意外なことにポケモンはゲームボーイという市場的にも終わりかけていたゲーム機で発売されたために、発売当時セールス的に全く期待されてなかったという。その成功はまさに奇跡といっていいようなものだった。

 

コロコロコミックとのメディアミックス

そしてここから話は小学館サイドへと移る。

 

当時、小学生のお小遣いの使いみちを正確に把握していたコロコロコミック編集部は、このゲームボーイソフトとして発売されるポケモンのヒットを確信していたという。

しかし自分たちの予想とは別に、他のメディアではそれほどまでにポケモンというものに注目はしていなかった。

そこで、コロコロコミックは当時副編集長でミニ四駆ブームの仕掛け人・久保雅一氏によって、他誌が興味を持っていないことで独占的に情報を扱うことができたために、コロコロ誌上で強烈にポケモンというゲームをプッシュしていくことになる。

 

ここらへんの経緯はわしもよく知っている。

当時、コロコロ・ボンボンは男の子がいる家庭ならどこの家庭でも読まれている漫画雑誌だった。

 

わしも先の「ポケモン・青」を手に入れることができたのも、このコロコロの強烈なプロモーションに後押しされてによるものだ。

その時の熱狂と言うか、自分がブームの真ん中にいたというリアルな感覚は、今でも鮮明に覚えている。

その後、わしがポケモンを卒業をするのと軌を一にして、ポケモンのアニメが始まり、第二次ポケモンブームが始まる。

 

そして、あのポケモンアニメを見た子どもたちが倒れるという「失神事件」を乗り越えて、ポケモンはアメリカへ、そして世界へと飛躍していった。

そこらへんの詳しい様子は本書に譲るとしても、わしが子どものころ夢中になったポケモンにここまで熱い製作者側の苦労があったのかと、その情熱を本書を読み進めていく上で感じずにはいられなかった。

 

改めて、当時夢中になってポケモンをプレイできたわしは幸せだったんだなと、当時の子どもの頃の自分を振り返ってしまった。

 

ポケモン好きなら、是非読んでおきたい一冊だ。

 

良いところ

あらすじ

『ポケモン・ストーリー』は、ゲーム『ポケットモンスター』の誕生から世界進出に至るまでの過程を、当事者である久保雅一と、ジャーナリスト畠山憲司が詳細に記録したノンフィクションである。
ゲームフリーク創業者・田尻智が抱いた「虫取りの楽しさをゲームにしたい」という原点から始まり、資金難・人材不足・周囲の冷笑に直面しながら、彼らは任天堂の支援を取り付け、小学館と連携し、雑誌・アニメ・グッズを一体化させたメディアミックス展開を成功させる。
特にアメリカ進出時の緻密な戦略や、社内での意見対立と和解など、“現場のリアル”が赤裸々に描かれている。
単なる開発秘話ではなく、クリエイティブとビジネスがぶつかり合い融合していく奇跡のプロセスを描いた作品である。

では以下に良いところを挙げていこう!

実名・時系列で描かれる圧倒的リアリティ

本書は関係者の実名がふんだんに登場し、時系列に沿ってプロジェクトの流れが詳細に追われている。そのため、ただの「美談」では終わらず、リアルな現場の葛藤・駆け引き・挫折が生々しく伝わってくる。とりわけ資金繰りの危機や任天堂との交渉シーンは、ビジネスドキュメンタリーとしても一級品だ。

メディアミックスの戦略を先取りしていた驚き

今では当たり前のクロスメディア戦略だが、ポケモンはそれを90年代に先取りして成功させていた。

ゲームとマンガ、アニメ、グッズを一体化させ、子どもたちの日常に自然に浸透する設計は、極めて先見的である。
本書はその背景とロジックを具体的に解説しており、マーケティングやブランディングに関心のある読者にも強く刺さる内容となっている。

「情熱」だけでは成功しないことを示す好例

田尻智の強烈な情熱や個性が描かれている一方でそれだけでは成功しないという現実も明確に語られている。

久保雅一や石原恒和ら、調整力や戦略眼を持った人材が周囲にいたからこそ、プロジェクトは成立した。
クリエイターとビジネスサイドがどう協働しうるか、その実例として非常に貴重である。

気になった方はこちらからどうぞ

悪いところ

では以下に悪いところ挙げていこう。

一部の専門用語が多く読みにくい

開発や出版業界の内部用語が頻出し、一般読者にとってはやや敷居が高いと感じられる箇所がある。注釈があるとはいえ、慣れていない読者にはテンポが削がれる恐れがある。

再構成がやや雑な部分も

複数の視点が交錯する構成のため、一部で時間軸が混乱しやすい場面がある。特にアメリカ展開の章では、登場人物が急に変わったり、省略が多くなる印象も否めない。

最新情報とは乖離がある

刊行がやや古いため以後のポケモン展開(スマホアプリ・グローバル展開の第二波など)については触れられていない。あくまで“誕生と初期成功”にフォーカスしており、近年の戦略を期待すると肩透かしを食うだろう。

そこらへんは好みだろうけど、気にならないヤツは気にならないだろうな。

まいける
まいける

まとめ

こんな人におすすめ!

  • 起業・スタートアップに関心のある人
  • コンテンツビジネスやメディア戦略を学びたい人
  • ポケモンを「ただのゲーム」と思っている人

『ポケモン・ストーリー』は、単なる成功談ではなく、「情熱×戦略×信頼」が交差したリアルなビジネスドキュメントである。田尻智の奇想天外なビジョンと、それを支えた周囲の現実的な采配が融合したからこそ、ポケモンという奇跡は実現した。
ゲーム業界の裏側はもちろん、今の日本に足りない“挑戦の熱”を知るための一冊でもある。
成功の裏にはドラマがある。そのすべてがここに詰まっている!

ドラねこ
ドラねこ

「世界を変える」のは魔法でも奇跡でもないのじゃ。


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  • この記事を書いた人

ドラねこ(おいさん)

「運も人生も、自分で掴み取れ!」をモットーに、吉方旅行をきっかけに運気を上げる旅や、旅先で本当に使える便利アイテム・ガジェットを中心にレビューしています。 「旅と運を味方につけたい人」に役立つ、リアルでちょっとお得な情報を発信中。 お気に入り登録・SNSフォロー大歓迎!

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