
ちわわ、ちわ~!おいさんだよ!
キミはだらしない人間であるかい?
掃除しないやつほど仕事できるって話、ホントだろうか?


散らかっている人こそ成果を出すというファクトがあるのじゃよ。
まじで?
整理整頓は敵って感じか?


いや、だらしなさには秩序あり。それが支配力や柔軟性を育むのじゃ。
思考の余白ってやつか!読んでみたくなるじゃん。

\ ココがポイント!/

『だらしない人ほどうまくいく』は、コロンビア大学の教授が導いた“だらしな系”のメリットを科学的視点で解説した一冊なのじゃ!!
きっちり整えられた環境には時間とエネルギーのコストがかかり、それは隠れた非効率につながる。反対に、適度に散らかった状況は柔軟性や偶発的発見を促し、予期せぬ状況に迅速に対応できる。複数の実験や事例も取り上げ、だらしな系の人々が組織やリーダーシップ、創造性において強みを持つことが示されている。適切な“だらしなさ”を認め、自己管理スタイルに余白を設けることで、成果と生産性を高められるという新しい発想を提供する一冊である。
だらしない人ほどうまくいく
結構、自分は「だらしない」方である。家の部屋の中の話だ。
それでも心のどこかで自分はもしかしたら「きっちり」している方なのかな?と思ったりする。
一概に全て「きっちり」しているわけではない。
かといって「だらしなさ」すぎるわけでもない。
そんなどっちつかずのわしだが、家の中が散らかっているのは嫌いだ。
それなのに自分の机周りは結構乱雑になっていたりする。
これを読んでいる人もそんな方がいるのではないだろうか?
そんな「だらしない系」と「きっちり系」が混在しているわしにとって「だらしない人ほどうまくいく」はコペルニクス的発想の転換をもたらす本だった。
人間、「きっちり系」が社会的に「善」であり、「だらしな系」が「悪」であるように思っている。
わしらはどこかでそうした、「だらしない人間」に対して「善悪二元論」で疑いもなくダメ人間だと思っている。
しかし、本当にそうなのか?
きっちり系・善、だらしな系・悪!?
整理整頓すること。
きっちり計画を建てること。きれいにすること。
そうしたことを人は盲目的に「良いこと」であると信じている。
でも、現実には「きっちりしている」ことが全てにおいて優れているわけではない。
「だらしなさ」や「乱雑」さや「行き当たりばったり」が実は優れている面もあるのだ。
そのことを本書は豊富な実例とともに読者に教えてくれる。
本書はそうした「きっちり系・善」「だらしな系・悪」という固定観念を「ほんとにそうなのかな?」と、客観的に事実を検証しつつ考察していく本である。
「きっちり系」のビジネス本は世に数多くあれど、こうした「だらしな系」のビジネス本はそうないのではないのだろうか?
確かに言われてみれば「きっちり」し過ぎると窮屈だし、「だらしなさ」過ぎても迷惑である。
職場でも家庭でもある程度の「だらしなさ」は必要なのだ。
ある程度の「だらしなさ」とは?
例えば、企業が書類などが「きっちり」膨大な資料や書類を整理整頓しようとすると、人手も時間もお金もかかる。
「きっちり」することが効率的であるように思っているが、実は逆に多大なコストが掛かってしまい、企業にとってあまりメリットが少ない。
またある例では、アメリカでは景観を保つために家庭の庭では芝生を育てるのが一種のステイタスになっているのだが。
実は芝生を育てることは膨大なコストがかかる。
大量の水を使って化学肥料や殺虫剤などを流し、川や海を汚染しながら自然を破壊してしまう。水道代もバカにならない。
こういった「きっちり」していることが、
実は社会的に害悪を与えていることは結構あるのだ。
一方、「だらしない」組織や個人の方が変化が著しい社会において柔軟に対処できるというメリットもあると本書は指摘する。
例えば、完璧なプログラムを作成するより、7,8割ほどで未完成でも市場に上げてしまって、ユーザーの意見を取り入れながらシステムを完成していくことなんかは今ではプログラムを作っている企業では当たり前のように行われている。
外食産業でもマニュアルで「きっちり」接客方法を決めて頭ごなしにこき使うより、その店に任せてしまって独自の工夫をさせることが「利益」につながることが多いという。
日本でいったら「ドン・キホーテ」がその成功例だ。
組織でも何でも実は適度な「だらしなさ」を取り入れることが大切なのだそーな。ほ〜ん、なるほどなぁ(;´∀`)
2、3割の「きっちり系」のシステムの上に「だらしな系」を加えて運用する。
「きっちり」な主旋律が流れている上に、
「だらしな系」の自由な演奏が加わって、
店で働いている店員の個性に任せてしまうのだ。
Jazzバンドの即興演奏のように。
今の日本にはマニュアル的な接客よりも、こうした変幻自在・融通無碍な姿勢が欠けているのではないのだろうか?
これはまさに「コロンブスの卵」的な、目からウロコの発想である。
誤解しないでもらいたいのは、本書が全てにおいて「だらしな系」が優れていると主張しているのではないことだ。
全てきっちりしているより、少しの無秩序の方が世の中はうまく回るということだろう。
本書の中の最後には「だらしな系」にも病的な「だらしなさ」があって、そうした者はゴミ屋敷などを作って周りの人に迷惑をかける存在でしかないと紹介されている。
確かにこれは「だらしない」ことの 悪い例だろう。
でもだからといって、「きっちり」していることが必ずしも良いことではないんだよ、思考停止に陥っちゃいけないんだよと、我々の固定観念に疑問を投げかけてくれる本であるとわしは感じた。
こういった思考の柔軟性はいつでも必要だよね(*´∀`*)
そう、だからだらしなくてもいいんだ。
これからはより一層だらしなく生きていこう!
良いところ
あらすじ
本書は著者エイブラハムソンらが導き出した「だらしな系」と「きっちり系」の傾向を分類・比較し、その効用を検証する構成だ。
まず、きっちりな人が整頓や時間管理に割くコストを整理し、実験で効率の逆転現象を説明(例:トランプを並べ直す時間がムダ)。次に“だらしな系”の代表的人物や組織(整理されていない書店、運行計画なしの航空会社など)を解説。歴史的背景やリーダー論へ展開し、柔軟性がいかに強い武器となるかを力説。章ごとに、だらしさが創造性、衝突への耐性、偶発性の取り込みに有利に働くと論じる。
最後に病的なレベルのだらしなさは避けるべきとし、適度なバランスという指針を示している。
では以下に良いところを挙げていこう!
「整理=善」の思い込みを打ち破る
従来のメンタルモデルでは「整理整頓=効率」という固定観念があったが、本書はその前提を実験的に崩す。トランプの実験では、並べ直すコストを考慮すると「だらしない状態」が合理的だと論証し、思考の癖に新たな気づきを与える。
多様な事例から論の裏付けを強化
航空会社や店舗、建築家などの実例を通し、“だらしな系”の実務的メリットを具体化。単なる理論にとどまらず、組織・リーダーシップにも応用できる点が説得力を高めている。
「適度なだらしなさ」で柔軟性と創造性アップ
「病的なだらしなさ」と「適度なだらしさ」の違いを明示し、だらしなさが創造性や偶発的発見につながる過程を丁寧に説明。読者が自分の行動スタイルに落とし込みやすい点が評価できる。
気になった方はこちらからどうぞ
悪いところ
では以下に悪いところ挙げていこう。
専門的な理論に偏って読みやすさが落ちる
学術的背景や実験データの記述が多く、ビジネス書に慣れていない読者には少し重く感じられる場面がある。
“きっちり系”を完全否定できるわけではない
序盤から「きっちり=悪」と捉えかねない言い回しが目立ち、真面目な整理整頓派に反発を招く可能性がある。
現代のリモート・IT環境を踏まえた言及が少ない
2007年出版という時代背景から、クラウドやSNSによる整理術との比較やアップデートがない点は、現代的読者にはやや物足りない。
そこらへんは好みだろうけど、気にならないヤツは気にならないだろうな。

まとめ
こんな人におすすめ!
- 整理整頓よりアドリブ重視の働き方を模索している人
- 自分の「だらしなさ」にコンプレックスを持っている人
- 柔軟性・偶発性を生かすビジネス・リーダー志向の人
『だらしない人ほどうまくいく』は「整っていないこと=悪」という固定観念に疑問を投げかけ、効率や創造性を取り戻す新たな視点を提供する一冊である。
きっちり整えることへのコストを定量的に示しつつ、柔軟な思考や偶発性の重要性を説く構成は明快。一方で理論偏重や時代ズレを理由に読みづらさを感じる読者もいるだろう。しかし自己管理法に疑問を抱くビジネスパーソンやリーダー層には自分らしいバランスを再考する好機をくれる。
だらしな系の力を味方に、肩の力を抜いた生き方・働き方を模索する人には、有益な“逆説の処方箋”となるはずだ。

だらしなさとは単なる怠慢ではない。
その裏に息づく柔軟性と余白は、そなたの次なる突破口となる潜在力であるのじゃ!