
ちわわ、ちわ~!おいさんだよ!
キミはポール・オースターは好きかい?
『ガラスの街』って読んだことあるか?


ああ、ポール・オースターのデビュー作じゃ。
探偵小説のような体裁で書かれているのだが、実は哲学的な内容が特徴なのじゃ。
主人公が間違い電話から探偵になりすます話だろ?
話の導入がちょっと変わってるよな。


そうじゃな。
ポール・オースターは偶然を大切にする作家。
アイデンティティや現実と虚構の境界を問いかける、深いテーマ性があるのじゃ。
でも、話が複雑でついていけるか心配だな。

\ ココがポイント!/

『ガラスの街』は、ポール・オースターによる探偵小説の形式を借りたポストモダン文学の代表作なのじゃ!!
主人公クインが間違い電話をきっかけに探偵として行動する中で、アイデンティティや現実と虚構の境界が曖昧になっていく様子を描いている。読者は、物語の進行とともに自己とは何か、現実とは何かを深く考えさせられるだろう。
ガラスの街
本来このポール・オースターという作家を翻訳しているのは村上春樹氏を読んでいる人はご存知だろう、柴田元幸氏という翻訳家なのだ。
だがポール・オースターの初期の作品だけ「シティ・オヴ・グラス」として何故か別の方が訳しているのだが、今回は柴田さんの「ガラスの街」を取り上げる。
柴田元幸氏についてはこちらを参照
次にポール・オースターについて語ってみよう。
著者説明
わしはこのポール・オースターが大好きでこの「ガラスの街」を読んで以来、彼の作品にハマっているのだ。
ではその処女作である「ガラスの街」とは一体どんな物語か?
作者が探偵?
ん?探偵のポール・オースター?
そう、この小説では、本の作者であるポール・オースターが探偵として登場するのだ(しかしそれはまた違う展開になるのだが…)
何度も自分宛てに掛かってくる間違い電話にいつの間にか心惹かれるクィンが、
ついにガマンできなくなってその電話に対して自分がポール・オースターであるとウソをついて事件を請け負ってしまうところから物語は一種異様な状況から始まる。
そして二人のピーター・スティルマン、父と息子の複雑な物語が予想もつかない結末へクィンを向かわせるのだった
クィンは探偵ポール・オースターになりすまして事件を解決しようとするのだが、果たしてこの顛末は・・・?
探偵モノではない探偵
本書は一言で言ってしまえば探偵ものである。が、ただの探偵モノではない。
これらの作品は謎とそれを解く手がかりとで構成された従来の推理小説とは明らかに違う。
……なんてことを書いても読んだことのない人には何のことかよくわからないだろうけどw
ようするにこの作品は、
事件が起こって、
名探偵が出てきて、
証拠を集め、
いささか都合の良い出来過ぎたトリックを暴く!(犯人はオマエだ!)
的な従来の推理小説ではないのだ。
訳者もあとがきでこのように記す。
探偵物語が伝統的に満たしてきた条件が、この小説でも満たされるものと期待して読むなら、たしかにこれほど奇怪な「探偵小説」はない。事実はいっこうに明らかにならないし、「探偵」は何ひとつ解決しない。
「探偵」の行動に表面的な意味での一貫性はなく、むしろどんどん理不尽になっていく。
「ガラスの街」p217
そうこの主人公のクインは何ひとつ事件を解決することはない。
なぜなら彼は本物の探偵でなく、半ば興味本位で探偵になりすました男だからだ。
一言でこの推理小説を言うと事件が起こらない推理小説なのである。
え?事件が起こらない?そう、事件はそもそも起こらないのだ。それは結果として…
そんなの面白いの?キミはそう思うかもしれない。けれども読み進めていく内にこれが面白いのだ!
そもそも作者自身でが探偵として出てきてしまうという設定がまずおもしろいw
ここから先は自らの目で本書を読んでもらうとして、この作品は探偵モノで有りながらどこかミステリアスな雰囲気を醸し出しながらも、それでいて従来の伝統的な推理小説にあるような謎解きは何もなく、主人公のクインは絶望的な結末に遭遇する。
そして彼はニューヨークというガラスの街に消えてしまう。
……いや、溶けてしまうというべきか。
ポール・オースターの透明感あふれる文章と、
時折挟まれる暴力的なまでに散漫とした文章の代わる代わる波打つような「うねり」もおもしろい。
どこまでも興味の尽きない物語として最後まで読み進んでしまうこと間違いないだろう。
そこに、明確な「答え」がなかった、としても……
興味が湧いたら図書館でもなんでもよいから是非手にとって読んでもらいたい。
アナタが思っているような推理モノではないことが、きっとわかっていただけるだろうから。
良いところ
あらすじ
主人公のダニエル・クインは、妻子を亡くし孤独な生活を送る作家である。
ある夜、彼のもとに「ポール・オースター探偵事務所」を求める間違い電話がかかってくる。興味本位からクインは探偵になりすまし、依頼人ピーター・スティルマンの父親から彼を守るという任務を引き受ける。調査を進めるうちに、クインは次第に自己の存在や現実の意味について深く悩むようになり、やがて自身のアイデンティティすら見失っていく。
では以下に良いところを挙げていこう!
アイデンティティの探求
物語を通じて、主人公クインの自己探求が描かれている。彼は探偵になりすますことで他者の人生を生きようとするが、それが逆に自己の存在を揺るがす結果となる。このテーマは、読者に自己とは何かを問いかける。
現実と虚構の境界の曖昧さ
作中では、現実と虚構の境界が巧妙にぼやかされている。クインが作家でありながら探偵として行動し、さらに作中に作者自身の名前が登場するなど、メタフィクション的な要素が散りばめられている。これにより、読者は物語の枠組み自体を疑問視することになる。
文学的な深みと哲学的テーマ
『ガラスの街』は、単なる探偵小説にとどまらず、言語、アイデンティティ、現実の本質といった哲学的テーマを扱っている。これにより、読者は物語を楽しむだけでなく、深い思索へと誘われる。
気になった方はこちらからどうぞ
悪いところ
では以下に悪いところ挙げていこう。
難解な構成とテーマ
物語は複雑な構成と抽象的なテーマを持つため、読者によっては理解しづらい部分がある。特に、現実と虚構の境界が曖昧になる展開は、混乱を招くかもしれない。
キャラクターの心理描写の不足
主人公クインの内面描写がやや不足しており、彼の行動や動機が読者にとって理解しづらい部分がある。これにより、感情移入が難しくなる可能性がある。
結末の曖昧さ
物語の結末が明確に示されず、多くの謎が残されたままとなる。このオープンエンドな終わり方は、読者によっては不満を感じる要因となる。
そこらへんは好みだろうけど、気にならないヤツは気にならないだろうな。

まとめ
こんな人におすすめ!
- ポストモダン文学や実験的な小説に興味がある人
- アイデンティティや現実の本質について考えたい人
- 従来の探偵小説とは一線を画す作品を求める人
『ガラスの街』は、探偵小説の枠組みを超え、アイデンティティや現実と虚構の境界を探求するポストモダン文学の傑作である。難解な部分もあるが、その分深い思索を促す内容となっており、読者に新たな視点を提供するだろう!

の作品を読むことで、自己と現実の境界について深く考えさせられるのじゃ!