
ちわわ、ちわ~!おいさんだよ!
キミはハックルベリー・フィンは知っているかい?
古典って退屈なんだよな。今更ハック・フィンとか、もう時代遅れだろ?


ふふ、そう言うと思ったのじゃ。
だが『ハックルベリー・フィンの冒険』はな、ただの冒険譚ではないのじゃ
え?ただの川下りの話じゃねーの?


いやいや、あそこは物語のハイライト。
大河を下るごとに、少年が“自由”と“道徳”を問う旅なのじゃ!
道徳って⋯お堅い話かよ。

\ ココがポイント!/

『ハックルベリー・フィンの冒険』は、アメリカ文学史上でも特別な地位を持つのじゃ!!
子ども向けの冒険譚に見えて、その実、黒人奴隷制・社会的偽善・大人の矛盾といった鋭いテーマを、少年ハックの目を通してあぶり出す。トウェインの筆致は軽妙で皮肉に満ちつつも、読者の心に「自由とは?」「人間の良心とは?」という問いを静かに残す。特に土屋京子訳は、現代日本語でも読みやすく、それでいて原文のユーモアと批判精神を損なわない絶妙なバランスを保っている。
ハックの“良心に逆らって”奴隷のジムを助ける行為は、道徳の固定観念を覆す痛烈なメッセージを持ち、読む者を強く揺さぶる。社会に流されず、自分の判断で行動する大切さ──それこそがこの物語の核心である。笑いながら読み、深く考えさせられる名作。それが『ハックルベリー・フィンの冒険』なのだ。
ハックルベリー・フィンの冒険
子供の頃、始めて家にビデオデッキが来た時、家で始めてみたビデオはオカンがどこからか買ってきた「トム・ソーヤーの冒険」だった。
何故か1巻だけあったそのビデオを、わしと兄は何遍も見た。
そんな思い出のあるビデオなだけに、
先日、久しぶりに図書館で見かけた「トム・ソーヤーの冒険」を見かけた時に始めて手にとって読んでみることにした。
感想は一言でいうと、なんという「クソガキ」かっ!ということ。
この言葉が世界で最も似合う男の子といえば「トム・ソーヤー」その子だけだろう。
始めてこの原点を読んだ時は子供の頃アニメで観たトムとは程遠い、悪童という名がふさわしい悪戯っ子トム・ソーヤーに度肝を抜かれた。
マーク・トウェインの原作のトムってこんなに悪ガキだったんだw
アニメでは多少可愛い男の子としてデフォルメされていたが、原文を新たに訳したこの光文社刊・トム・ソーヤーの性格はそんなアニメ版と打って違い生易しいものではなかった。
とにかくこの物語で描かれるトムは根っからの悪ガキで周囲の大人も手を焼くほどの才知とずる賢さを兼ね添えた文字通りの悪童である。
そしてそれに付き合う本書の主人公・ハックルベリー・フィンも、トムにいつも翻弄されてしまう気の毒なほどに滑稽な男の子だ。
だけどこの物語、なげぇよ!
どんだけこんなくだらないドタバタ騒ぎが続くんだよ!!
読んでていささかうんざりしちゃったよ(;´Д`)
というくらい、これでもかと悪童トムは暴れまわる。といってもそれは「トム・ソーヤーの冒険」の話。
最後まで道化役のトムに振り回され
本書はそんな「トム・ソーヤーの冒険」では脇役であったハックルベリー・フィンを主人公に、それまでのトム・ソーヤーの物語後半で富や名声を手に入れた生活にウンザリしたハック少年が、ひょんなことから黒人奴隷ジムと一緒に故郷を飛び出してミシシッピ川を下って冒険するといった物語である。
トム・ソーヤーを読んでいた時も思っていたのが、なんでこんなにトムというガキは読み手をイライラさせるのだろう。平気でウソをつくわ、ガキのクセに女をたぶらかすわ、大人の言いつけは守らないわwもう手の施しようのないどうしようもないガキである。
本書、ハックルベリー・フィンでも物語の冒頭と後半の最後の方で大活躍するのだが、大活躍と言っても正直巻き込まれるハックにしたらいい迷惑で、このクソガキは一体なにを考えているんだろう?と最後までイライラする。
とにかくトムという存在がここまで悪ガキなのが理解できない。
ここまでの悪童は日本にはさすがに存在しないだろう。
「トム・ソーヤー〜」も本書もギリギリのところではトムという男の子が小さな英雄として描かれているが、冷静に考えてみると、過剰なまでのトムの大人の世界への憧れや模倣(本で手に入れた海賊や冒険などの知識)は読んでいていささかうんざりする。
まずこの物語が展開される当時のアメリカの状況が、日本人には理解できない……というか受け入れられない。
日常の中で平気で人種差別できな物言いや、黒人奴隷を酷使し、私物化している白人社会に21世紀の読者はイライラしっぱなしである。
それに付き合わされる浮浪児ハックも気の毒になってしまうが、本作の主人公になったハックも読んでいるとイライラさせられることばかり。
それは当時の子供や黒人奴隷のジムでさえ、呪いや魔女といった非科学的なものを信じていて、そういった迷信に振り回されているあたりが、現代人には読んでいてツライ。
重要なのは上巻のジムのところまで
で、このハックルベリ・フィンの物語がおもしろいのは上巻のハックが逃亡奴隷ジムを売り渡すかどうか悩んだシーンまでだろう。あそこらへんまではハックの良心というべき善良な少年の葛藤が色濃く丁寧に描かれている。
「ようし、こうなったら、オレ地獄に行く!」
と長いこと川の上で一緒に過ごしたジムを白人たちに引き渡すことを拒否して、友だちとして最後まで一緒にいてやろうと決め込む当たりは読んでいてとても気持ちよかった。
しかし、その後に出てくる王様と公爵なんかはもう最悪なホラ話のオンパレードで読んでいるこっちが胸くそ悪くなるw
アホかこいつら、
なんでそんなもんを信じてそこまで必死なんだよ(;´Д`)
とまたまたウンザリしてしまうw
これは今回この二作を読んでいて非常にツライところだった。
そして最後に出てくるトムの無理矢理な一件落着の仕方。
これはかなりご都合主義。ちょっと出来過ぎでない?と現代の視点では首をかしげてしまう。それになによりマーク・トウェインの饒舌な筆致にも時々閉口ものだ。
だが、この物語には散々悪口を書いてしまったが、読者を読ませてしまう力のようなものがしっかりと備わっているのだ。
それは、ハックやトムや当時のアメリカ人たちを教養のない馬鹿だと片付けてしまうにはおしい何かがそこにはある。
わしは「トム・ソーヤー」を読んで感じたのは、「ああ、小さいころのわしもこんなトムみたいな『クソガキ』だったなぁwww(*´ω`*)」といった印象だった。
誰にでもこのような腕白坊主の時期はある(トムは腕白を通り越して悪ガキだがw)そんな小さなころの情景を、「トム・ソーヤー」や「ハックルベリー・フィン」といった物語を通して改めて自分が通ってきた道をふりかえってしまったのだ。そうした子供の頃の体験は、19世紀のアメリカと現代の日本とではそんなに変わらないらしいw
そして当時のアメリカの日常を目の当たりにしたとき、21世紀の我々が改めてアメリカを観る際には色んな意味で参考になるのではないかと思うのであった。
そんなハックやトムの冒険の物語を読んでいてわしは、子供の頃の自分を懐かしく思い出してしまったのはむべなるかなといった感じである。
良いところ
あらすじ
物語の主人公は、前作『トム・ソーヤーの冒険』にも登場するハックルベリー・フィン。
養母のもとで文明的な生活を強いられていた彼は、酒浸りの父から逃れるために家を飛び出し、ミシシッピ川での逃避行を始める。やがて彼は、黒人奴隷のジムと出会い、彼の「自由を求める逃亡」に協力することとなる。
二人はいかだに乗って大河を下りながら、詐欺師、差別、偽善、そして生きることの意味に出会っていく。ハックは、自分がジムを助けることで「地獄に落ちる」と思いながらも、「それでも助ける」と決断する。
この物語はただの冒険ではなく、道徳の常識や社会の偽善に対する痛烈な風刺であり、子どもと大人、白人と黒人という境界を超えていく自由と友情の物語である。
では以下に良いところを挙げていこう!
少年の目線で描く社会批判と倫理の葛藤
ハックという“何も知らない”子どもの目を通して描かれる世界は、読む者に「本当の正しさ」とは何かを根源から問い直させる。
奴隷ジムとの交流は、人種や制度が作り出した「常識」がいかに欺瞞に満ちているかを暴き、ハックの「心」による決断が最終的に物語を導く。
読者は気づかぬうちに、「良心とは教育や宗教ではなく、自分で考えて下すべきものだ」という命題に向き合うことになる。
巧みなユーモアと皮肉の効いた語り口
マーク・トウェインの文章は時に痛烈な皮肉を込めながらも、常に軽妙で読みやすい。
登場人物たちの愚かしさや社会制度の滑稽さがコミカルに描かれており、笑いながら批判に気づかされる構造になっている。
これはただの児童文学ではなく、むしろ大人が読むべき風刺文学であると断言できる。
土屋京子訳の読みやすさと原作尊重の絶妙なバランス
本書の土屋京子訳は現代日本語に最適化されながらも、トウェインのオリジナルのリズム感や皮肉っぽさを見事に保持している。
原文の英語を読めない読者でも、翻訳のクオリティによってトウェインの世界観を存分に味わうことが可能である。これにより、古典文学という壁を軽やかに飛び越えられる読書体験が保証される。
気になった方はこちらからどうぞ
悪いところ
では以下に悪いところ挙げていこう。
時代背景の知識が前提になっている部分がある
奴隷制度や南北戦争直前のアメリカ社会など、背景知識が乏しいと深い意味が掴みにくい場面も存在する。特に現代の日本人読者にとっては、あらかじめ軽く背景を押さえておいた方が理解が進む。
差別用語や倫理的に問題のある描写がある
当時のリアリティを忠実に描いているがゆえに、現代的には不快に感じる表現も散見される。黒人への蔑称や、暴力的なシーンもあるため、読者によっては抵抗を覚えるかもしれない。
一部の挿話が冗長に感じられる
詐欺師とのやりとりなど、全体の筋に直結しない挿話が中盤にいくつか登場する。それがリアルさを醸し出す一因でもあるが、テンポを削ぐ要素と感じる読者もいるだろう。
そこらへんは好みだろうけど、気にならないヤツは気にならないだろうな。

まとめ
こんな人におすすめ!
- 社会と道徳をテーマにした文学に興味がある人
- 古典文学に挑戦したいが読みやすさも重視したい読者
- 子ども向け作品に隠れた深いテーマを味わいたい人
『ハックルベリー・フィンの冒険』は単なる冒険小説の枠を超え、人間の倫理と社会制度への批判をユーモアと風刺で包んだ名作である。奴隷ジムとの逃避行は、少年の成長譚であると同時に、「良心」とは何かという普遍的な問いへの挑戦でもある。土屋京子による訳は読みやすく、トウェインの言葉が現代の読者にもまっすぐ届く。差別や偏見に満ちた時代背景を描くからこそ、今こそ読むべき価値がある。笑い、驚き、そして静かに考えさせられる本──それが『ハックルベリー・フィンの冒険』だ。

愚かさの中に真理がある、そんな物語こそ、時代を越えて語り継がれるのじゃ。
ハックとジムの旅は、自由と良心の意味を我らに問うのじゃ!