ちわー!おいさんだよ。キミは金沢は好きかい?
今回は開運吉方旅行の【金沢編】第6弾じゃ!
兼六園までまわってきたけど、次はどこだ?
うむ、いよいよ今度は金沢城に向かうのじゃ。
金沢城って最初21世紀美術館の前に見えたあの石垣のところでしゅか?
そうじゃ。
兼六園のすぐとなりだから道路を挟んで大きな橋を渡っていくぞ。
ふーん。
もうこれ以上雨がふらなければいいけどな。
それでは!今回は金沢城を散策していこう!
吉方旅行のルール
- その時期の自分にとっての吉方位に出かける。
- 前日どこに滞在していても、必ず「自宅」から吉方位を割り出す。
- 滞在期間は3泊4日以上(滞在期間が長いほど、効果アップ!)
- 移動距離は100km以上(移動距離も遠いほど、効果アップ!)
- 1泊目は必ず「22時30分」まで泊まるホテルや旅館の部屋に入る。
- 旅行中は毎日「お風呂」か「温泉」に入る
前回まではこちら
土砂降りの雨の中、兼六園を散策したよ、という話(*´ω`*)
-
【金沢・吉方旅行5】雨の日に煙る兼六園。苔生す丘と霞ヶ池の後悔
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雨の日の金沢城
雨足が強くなってきた中、必死で金沢城に向かうことにする。
ここらへんの堀のことをいもり堀というのじゃ。
いもりほりってなんでしゅか?
……んん、ここいらへんでイモでも堀ってたんじゃないか?
ぜったいちがうでしゅ!
ここらへんは午前中に21世紀美術館の時に見た広い公園みたいな場所。
ここから城に向かうことができるのだ。
こうして見てみると、石垣はしっかりしているな。
ちゃんとした築城をしていたんじゃな。
兼六園の隣にあるなんだかにぎやかな通りを横目に、藩の一大拠点・金沢城まで歩いていく。
おなかが空いて目がまわりそうでしゅ。
さっきの兼六園では何も食べられなかったからな。
ここらへんでなんか食ってくか?
うう~ん、なんか道行くお店が全部高そうじゃな。
もう少し歩いて先を見ていくか。
え〜?!
それにしてもここらへんは大きな道路が橋の下に通っていて、ここから兼六園と城をつないでいる城下と下の道路を見渡せる。
ここらへんはけっこう広いな。
昔から敵が進軍して来る様子を見渡すために城の周りを広くとったんだろうな。
なるほど。
石川門
さて、ようやく金沢城にやってきた。
金沢発展の歴史は、まず初めに北陸石川を浄土真宗の一向一揆の集まりが強く結束してこの地を治めたのが始まりだという。
本願寺顕如といえば「信長の野望」ファンの読者にもおなじみだろうが、
いや、しらんよ。
「信長の野望」を信長でプレイすると必ず出てくるのじゃ。
あいつ、必ず反信長同盟を作るんだよな。
フーン、そうなんだ。
ぜんっぜん、わからないでしゅ。
そうした宗教勢力の一大拠点として栄えた石川も織田信長の台頭で滅ぼされてしまう。1580(天正8)年、天皇の仲介で本願寺と織田信長の和睦が整い、顕如は大阪を退く。
同年、金沢御堂は信長の名によって柴田勝家らの軍勢によって陥落し、加賀の一向一揆は収束する。
大きな漆喰の壁だな。やっぱり石垣も立派だ。
ものすごく高いでしゅ。
ポポポ〜
金沢城はキリシタン大名の「高山右近」を招いて、築城の指導を仰いだと言われているのじゃ。
へぇー。
西丁口から尾坂口へと大手が変更されたのもこの頃で、当時は城内に重臣たちの屋敷があって、決して広い城ではなかったそうじゃ。
すごーい!
その後、柴田勝家が羽柴秀吉に滅ぼされ、秀吉の代になると前田利家がこの北陸の地を治めることになった。
天正11(1583)年。前田利家が金沢城に入り、その直後から本格的な城づくりが始められた。これが後の加賀百万石の礎となる。
こちらが金沢城の見取り図。
さすがに加賀百万石の城なだけあって、駿府城より広いw
しかし現存する城内には天守閣はなく、慶長7(1602)年、落雷により天守が焼失した後、それから再建されることはなかった。本丸には三階櫓と二の丸には御殿が建てられた。
なんかここらへんの事情は江戸城も同じだよね。
二の丸周辺
石垣や堀はしっかりと残ってはいるものの、いま現存しているのは二の丸内の菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓だけである。
寛永8(1631)年の火災の後、二の丸の拡大や辰巳用水の通水などにより城の構造が変化するなかで、武家屋敷も城外へと出された。内堀を掘り、土を掻き上げて各曲輪が区画されていった。
こちらが菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓。
ちなみに菱櫓は五十間長屋・橋爪門続櫓ともに修復されて、今では内部を見学できるのじゃ。あとで中を見てみよう!
おう。
わー。
菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は高さ11.7mの石垣の上に建築されており、3階建で長さは約17mある。「櫓」とは「矢の倉」とも云われ、武器の倉庫の意味だが、ここは主に周辺を見張る役割を担っていたという。
橋爪門
この橋爪門もかなり立派な作りである。
たしかにりっぱでしゅ。
なんか圧倒されるものがあるなあ。
やっぱり敵を退けるにはそれくらいの威圧感がないと。
橋爪門は、寛永8年(1631)の大火後に整備された二の丸の正門。
高麗門形式の「一の門」、石垣と二重塀で囲われた「枡形」、櫓門形式の「二の門」からなる枡形門で、枡形は城内最大の規模を誇るという。
江戸時代になると日本中の城がだいたい壊されてしまい、この金沢城も金沢大学のキャンパスとして使われるようになったのだとか。
橋爪門は、「石川門」「河北門」とともに「三御門」と呼ばれ、二の丸御殿へ至る最後の門として、通行に際しては三御門の内で最も厳しい制限がかけられ、二の門の床には二の丸御殿と同じ敷き方で戸室石が敷かれる格式の高い門であったという。
現存するものは文化五年(1808)の二の丸火災で焼失した後、文化六年(1809)に再建された姿を復元している。
宏大な空き地
宝暦9(1759)年の火災では、城のほとんどを焼失。
その後の再建では実用性を重んじ、二の丸を中心とした整備が行われ、本丸の櫓は再建されなかった。
なんもねえじゃん。
ここが大学のキャンパスか・・・
そう考えるとすごいな。
来て見るとわかるけど、今ではただ「だだっ広い」だけで、なにもないな。
ああ、無駄に広いし、公園にするしかないよなあ。
それにしてもここがかつて金沢大学のキャンパスだったとは思えない。
いまではただ宏大な広場があるだけで、まわりにはなんにもないのが少し寂しい。
駿府城公園に似ている感じはあるのだが、こちらのほうがやはり大学として機能していた為か、かなりキレイである。
でも、できれば駿府城もそうだが、こちらも天守や本丸を復元して欲しい。
細工所が新丸から堂形へ移されたのもこの時期で、現存する石川門などはこの後天明8(1788)年に再建されたものだという。
菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓
こちらの案内所でチケットを買うこともできるのだが、兼六園との共通券を持っているので、こちらを見せて菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓の中を見学していこう。
この菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は平成13年7月に完成した延べ床面積1894.23平方mの復元建物で、石川門や三十間長屋と同様、鉛瓦や海鼠塀が外観の特徴である。
明治以降に建てられた木造城郭建築物としては全国再最大規模で、大径木の事前調達や土台石垣の解体、修築を含め、平成10年3月から実に3年4ヶ月をかけて造られた。
菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓はこのようにキレイな木造の内部構造になっている。
うおー!
なんかめっちゃ広いぞ!
ものすごい長い廊下が続いているでしゅ。
あの左手の階段から上部の菱櫓に登ることができるぞ。
よし、登って外からの眺めを見てみよう。
この長い廊下は3層3階の菱櫓と橋爪門続櫓を2層2階の五十間長屋でつないでいて、れらの建物は、戦の際に二ノ丸を守るための施設として石落しや鉄砲狭間となる格子窓、白塗漆喰壁や海鼠壁で防火構造になっている外壁が、その強固さを示している。
菱櫓・内部
ちゃんと順路も指定されつつ、細長い城内を散策できる。
菱櫓という名前の通り、建物の平面は菱形で、四隅の内角は夫々80度と100度になっていて、建物が菱形の場合、柱も菱形。
この部屋の中に立っている4本の長さ14m、太さ33cmの桧の「通し柱」を始め、使われている凡そ100本の柱も菱形。これらを使っての建築には大変な技術を要しているという。
確かによく見ると柱がひし形だな。
ホントでしゅ。
うーむ、これは珍しいのう。
なんかものすごく新しい感じはするんだけど、床は傷がついているんだね。
中から足下に城内の人通りを眺めることができる。
かつてあった本丸の骨組みの模型や五十間長屋や櫓の解説。
使われている素材は柱はヒノキで床などは松のようだ。
こちらが骨組みの構造。
こんなふうに残っているんだったら、復元してほしいよねw
この菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は建物そのものが展示物で、内部の建物構造がわかる工夫やコンピューターグラフィックス映像、各種の模型、発掘調査出土品、音声ガイドなどを備え、復元にあたっては伝統的な木造軸組工法に加え、階段昇降機やエレベーターなどを設置し、二階まではバリアフリーで障害者にも優しい展示になっている。
外の景色も見ていたら、ここらへんから雨が本格的に強くなってきた。
どしゃぶりの雨音の中広い廊下を行ったり来たりしながらもと来た出口に向かう。
この中は座る場所もないので仕方ないので外に出ることにしよう。
でも、こんなに土砂降りなら出たくないなあ・・・
うう・・・
まだそとはどしゃぶりでしゅ。
わ~ん!
まだ雨は冷たいよ〜!
大雨がすごすぎて
公園内にある近くのカフェに避難してきた。
ここからなら城内の様子が窓から眺められる最適な場所である。
ふぃー・・・
また降り出して来やがったのじゃ。
ああ、ここなら雨が凌げるな。
なんかカフェみたいになってるみたいだから、なんか頼むか?
わーい!
もうおなかがペコペコにすいていたでしゅ。
ポポポ〜!
ううむ、何を頼むとするかのう?
・・・・・・・しかしここ、食いもんは売ってないみたいだぞ?
え?!マジか?
・・・・あ、ホントだ。
腹の足しになるような大したもん売ってねえ。
ええ〜?!
そんなあ〜!
残念ながらもう少しガマンするしかないようじゃ。
この建物中は人でいっぱい。
多くの人が雨を避けるために雨宿りに店内に滞在しつつ、注文をしてなにやら飲み物などを飲んでいるが、食べ物は見当たらない。
外は雨足がどんどん強くなってきて、まるで台風のような土砂降りになってきた。
雨が弱くなるまでガラス窓の向こうをじっと眺めていた。
今まで歩き続けで疲れていたこともあって、気がついたら一時間ほど休憩をしいた。
さて、ではそろそろ次の場所へ向かうか。
おい!
オレ達はいつになったら食い物にありつけるんだ?!
うう・・・
つ、次のひがし茶屋街に行けばきっと・・・
もう空腹にも限界が訪れてきたようだ。
雨は、まだ限界をしらない。