
ちわわ、ちわ~!おいさんだよ。
キミは思わず裸足で駆けていきたくならないかい?
サザエさんか!
お魚咥えたドラねこを裸足でかけてくわけじゃねえぞ。


バカタレ!
わしはネコじゃない!だから魚なんかネコババしないわい!
…わしはベアフットランニングのことを言っているのじゃ!
ベアフットラン?なんだそれ?


うーむ、やはりベアフットランを知らないか。
まあ、日本でもようやく少しずつ認知され始めたランニングだからな。
\ ココがポイント!/

『BORN TO RUN 走るために生まれた』は、「なぜ人間は走るのか?」という根源的な問いに挑んだノンフィクションなのじゃ!!
著者クリストファー・マクドゥーガルは、自らの故障経験をきっかけに、人類の走る能力に疑問を持ち、メキシコ奥地の秘境・コッパーキャニオンに住む伝説の走者「タラウマラ族」にたどり着く。
本書が凄まじいのは、走るという行為を科学・文化・人類学・スポーツの視点から縦横無尽に描き切った点にある。しかも読み口は軽快で、冒険譚のように読ませる力がある。
結論として、本書は走ることの意味を再定義する1冊であり、スポーツ書を超えた「生き方」の書である。走ることに興味がなくても、人間の本質に触れたい者にとっては読むべき一冊である。
大企業・ナイキの罪とは?
風を感じたくなった。
本書を読み終わり、本を置いた時点でそのまま外に出て無性に走りたくなった。しかも裸足でw
裸足で走りたくなる本。それが「BORN TO RUN」だった。

それよりももっと吾輩にとって興味深いことが書いてあった。
それは巨大企業ナイキによる『ハイテクシューズの罪』についての話である。
ここで少し紹介してみよう。
ナイキ創業期
元々ナイキという会社を設立したのは、なんでも売って儲けてやろうとするオレゴン大学のランナー・フィル・ナイトと、自分はなんでも知っていると自負するオレゴン大学のコーチ・ビル・バウワーマンの二人によって起業された会社だった。
この二人が手を組むまでは現代的なランニングシューズは存在しなかった。
現代的なランニングシューズとはエアマックスなどに代表される、ソールの厚いスポーツシューズのことである。
バウワーマンは自宅の地下室でゴムを溶かし、新種のフットウェアの開発に取り組んだ。
そして完成したのがクッション性の高いランニングシューズ「コルテッツ」だった。
これがナイキのハイテクシューズの原型である。
バウワーマンは自身の新型シューズの新たな走法を提唱した。
それは、それまで安全に行えなかった走り方ができるようになるという骨ばった踵で着地する走り方だった。
クッション性のランニングシューズが発明される前はすべてのランナーのランニングフォームは同じだった。
背筋を伸ばして膝を曲げ、腰の真下で足が地面を後ろにかくように走っていたという。
しかし、バウワーマンは重心よりも前に足を着地させれば、若干距離が稼げるのではないか?
踵の下にゴムの塊をつければ、脚を伸ばし、踵で接地して歩幅を長くすることができるのではないか?
そう考えた彼は自身が開発したシューズとともに新たな走法を世に広めてしまう。
へえ、それでどうなったん?


この戦略は企業のマーケティング的には大正解だったのじゃ。
バウワーマンの天才的なマーケティングによりナイキのシューズは爆発的に売れてしまう。
その売れ行きはシューズの生産が間に合わなくなり、オリンピック・イヤーの1972年を境に、ナイキを世界一の巨大企業に成長させるほど画期的な発明であった。

しかし、そこに思わぬ誤算が紛れていたのじゃ。
どういうことだ?

バウワーマンの生み出したこのハイテクシューズが爆発的に広まったことにより、その売れ行きとともに大量の脚の故障者を爆発的にに生み出してしまったのだ。
ハァ?!

ハイテクシューズは足に悪い?!
それは一体どういうことか?
本書からバウワーマンの師であるアーサー・リディアートの文章を抜粋してみよう。
「どの年齢にせよ、平均的な人に裸足で走ってもらっても、その人の足の動きにプロネーション(踵が内側に傾くこと)やスピネーション(足をひねること)の兆しはまず見られない。」とリディアートは訴えた。
「そうした足首の横への傾きは、足をランニングシューズに通して初めて生じる。多くの場合、シューズの構造が足の自然な動きを一変させてしまうからだ。」
「昔はキャンパス地のシューズで走ったものだ」とリディアートはつづける
「足底筋膜炎にはならなかったし、プロネーションもスピネーションも起きず、マラソンを走った時に粗いキャンパス地のせいで靴ずれができることはあっても、総じていえば足の問題は生じなかった。最新のハイテクランニングシューズに数百ドル払ったところで、そうした故障を逃れられる保証はなく、きっとあれこれの怪我に悩まされることだろう」
「支えをすれば、その箇所は弱くなる。たくさん使えばそのぶん強くなるのだ……裸足で走れば、面倒は一切生じない。」
「裸足のときのように足を機能させるシューズーそれが私好みのシューズだ」
足底筋膜炎。
それがナイキが生み出したハイテクシューズを履いたアスリートたちにもたらされた故障の病名であった。
ナイキはそれまでになかった画期的なハイテクシューズ生み出したおかげ巨大企業に成長したのだが、そのハイテクシューズを履いたアスリートたちの間にそれまで見られなかった故障者が爆発的に増大し、足に良いと思われていた厚底の靴は、本来裸足で駆け回っていた生物としての人間の足には合わず、逆に健康を損ねるものだった。
……マジか。


これが本当なら大変なことじゃ。
思い返せば小学生のころ、わしは学校に着くとすぐに靴を脱ぎ、いつも裸足でグランドはおろか校内を駆け回っていた。朝も昼も夜も、夏だろうと冬だろうといつも裸足だった。
上履きなんか、ほとんど履いたことなかった。
……ほう。


それでも足に怪我をしたことなどは一度もない。
身体も丈夫で、冬でも半袖短パンで風邪も引かなかったのじゃ
……ああ、いるよね。
そういう子供って、クラスに一人はw

今振り返ってみると、
そうした生活はなにも不自然なところがない、人間としてより自然に近い正しい生活だったと思う。
当時、裸足で生活していたわしはもちろん1回も足を故障したことはなかった。

これはあくまでわしの実体験を元にした感想なので、信じるか信じないかは本書を読んだ読者次第じゃ。
ベアフット(裸足)ランニングの効能
その他にもナイキがスポンサーを務める、スタンフォード大学の陸上部コーチのヴィン・ラナナはこう言う。
「シューズのサポート機能をどんどん増やすことで、我々は足を自然な状態から遠ざけてきたんだ」
とラナナは訴えた。だからこそ彼は、ランナーたちがトレーニングの一環としてトラックを裸足で走るよう徹底する。
「シューズメーカーにとって、スポンサーを務めるチームに製品を使ってもらえないのはうれしいことではないのだろうが、人は何千年もシューズなしですごしていた。
シューズにいろいろと矯正機能を加えようとすれば、過剰に足の機能を補うことになると思う。直す必要のないものまで直すことになる。裸足になって足を鍛えれば、アキレス腱や膝、足底筋膜などに問題が生じるリスクは減るだろう」
そう、ハイテクで高級なシューズが足を保護してくれていたのではない。
逆に足を退化させていたのだ!
こうしてナイキがハイテクシューズを開発したおかげで、マラソンを走るランナー達に大量の故障者達を生み出してしまった。
その後、ナイキは方針を切り換える。
ある不可能に思えた極秘プロジェクトを推し進めるのだ。
それは裸足をもとに金を稼ぐ方法を見つけることだった。
そうして二年の歳月をかけ開発された新製品のナイキ・フリー。
かつてのコルテッツよりも薄いスリッパのような靴で、これを世界で活躍するアスリートをCMで使い、大々的に放映して宣伝する。
そのキャッチコピーは、「裸足で走れ」
まるで今まで自分たちが散々厚底のシューズを作ってランナーたちを苦しめていたことを忘れたかのような手のひら返しw

びっくりするような手のひら返し。
・・・商売っ気が強いのう。
・・・アメリカの企業なんてそんなもんだろう。

この変わり身の速さには唖然としてしまうが、こうした抜け目ない方針がアメリカ流の起業体質なのだろう。
厚底靴の限界
エアマックス95とか「エアマックス狩り」なんてものが社会現象になるまであの厚底靴は流行していた。
なのに気がつくと、今ではそうした厚底の靴はいつの間にか姿を消してしまっている。
あの透明なエアーが見える靴は、当時見た目にも斬新でカッコ良かったのに、いまでは見る影もない!

あの透明なエアーが見える靴は、当時見た目にも斬新で、誰もが奪い合うように欲しがっていたのに、
・・・・・・いまでは見る影もない。
そんなにすごかったんでしゅか?


すごかったぞ!
「エアマックス狩り」なんて言葉があったくらいでのう・・・今では厚底のシューズなんて珍しくもなんともないかもしれんが、わしが若い頃にはあのエアが入った厚底のシューズは多くの若者が憧れ、みんな欲しがったもんじゃ。
そうナイキといえばあのエアーが入っていた厚底靴というイメージで、当時は本当によく売れていた。
今でもそのイメージが抜けきれないという読者も多いと思うが、今ではナイキはどこのメーカーとも大差がない平べったいシューズを売っている。

時代の流れじゃのう。
今はマラソンや陸上競技などでは平たい靴が主流のようじゃ。
人間の足にあってなかったんだな。

あのエアの入った靴の流行は一体なんだったのか?と今では思ってしまうが、あのような靴が世間一般から姿を消してしまった理由はこのような故障のしやすさにあったのだ。
そして、当時の過ちを償いもせずに、今ではナイキも昔から薄いシューズを売ってましたというような顔をして、薄底シューズを堂々と販売している。

思うに、ジャンプを多用する競技であるバスケや、街を歩くだけのファッションとしてなら厚底の靴を履くのはいいんじゃが、これで陸上競技を行うとなると怪我につながるので問題なんじゃろう。
そういうことか。
…女だって厚底履いたりするもんな。
でもその高いヒールで100mを全速力で走ったりはしないからな。


そうじゃ。
なので普段使いとして、こういうものを履くのは大丈夫なんじゃろう、たぶん。
本書を読んでいると、そうした靴メーカーによる金儲けのために翻弄された当時のランナーたちが可愛そうでならないが、この本はそんなナイキの功罪を告発するだけでなく、裸足で何キロも駆け回ることができる部族たちとのウルトラマラソンに軸を向けていく。
今では様々なシューズメーカーが薄いシューズの有用性を認め、競って製造をしているという。
ベアフットシューズが最高?
その中でも一番頭角を表し、ベアフットランニングのブームの火付け役になった靴といえば、このビブラムだろう。

ファイブフィンガーズの出番じゃ!
ああ、あれか。


このヘンなカタチのしたゾウリみたいなクツのことでしゅか?
ビブラムは薄いシューズが足に良いという事実ををいち早く突き止め、早くも看板商品である「ビブラムファイブフィンガーズ」を開発し販売する。
もともと「ファイブフィンガーズ」はヨットレーサー用のデッキシューズとして開発されたもので、そのねらいは滑りやすい甲板でのグリップを強めつつ、素足の感覚を保つことにあったそうだ。
ベアフットの効果は素足に近いシューズでトレーニングを行うことで体幹も鍛えられ、厚底靴が原因の故障や、腰痛への負担軽減などが報告されているという。

この本を読んでいたら、わしもファイブフィンガーズで外へ飛び出したくなってきた。
それで実際に買ってみたんだろう?


これがいい履き心地なんだよね!
さぁーて、秋も近いし、外はいい空気だからこれでちょっと走ってみるかなあ!
良いところ
あらすじ
クリストファー・マクドゥーガルは、ランニング中の度重なる故障に悩まされていた。
「なぜ自分は痛みなく走れないのか?」という疑問から、彼は“痛みなく何百キロも走る”という伝説の民族「タラウマラ族」の存在を知る。
彼らはメキシコの山奥で、現代文明と隔絶された環境に住み、サンダル一つで100マイル以上を軽々と走る。マクドゥーガルはその秘密を解き明かすため、冒険に出る。道中ではウルトラランナー、科学者、そして変人ランナーたちと出会い、人類が本来持っていた“走る力”に迫っていく。
この「BORN TO RUN 走るために生まれた」は足に故障を抱えたランナー(著者)が、走るために生まれてきた部族「タラウマラ族」の秘密を探るべくメキシコの奥地に向かい、史上もっとも過酷なウルトラマラソンに参加するまでのノンフィクション自伝である。
なんだそりゃ?!
おもしろいのか?


おもしろいぞ!
読んでいると無性に走り出したくなるのじゃ!
では以下に本書の良いところを挙げていこう!
科学×人類学×スポーツの融合が圧巻
本書は単なるスポーツ本ではない。進化論・解剖学・文化人類学といった幅広い視点を組み込み、人間が「なぜ走るのか?」を多角的に解明していく。その知的刺激は読者の脳を心地よく揺さぶる。特に“人類は狩猟のために長距離走を進化させた”という説は、常識を根底から覆すインパクトを持つ。
冒険小説のような臨場感
タラウマラ族との接触、山中でのウルトラレース、奇妙なランナーたちとの交流など、本書は随所にスリルとユーモアに満ちている。特に、謎めいた伝説のランナー「カバーヨ・ブランコ」との出会いは、物語に深い人間味を与える。フィクションのような展開だが、すべて実話という点に驚かされる。
ランニングへの価値観が変わる
読み終えるころには「走ること」が単なる運動ではなく、“自己との対話”に思えてくる。現代人が失った「自然とのつながり」を再発見できる構造になっており、走ったことのない人でも「自分もやってみたい」と思わせる力がある。
本書を読んでいると、走る部族「タラウマラ族」についていくつか興味深いエピソードがたくさん書かれているが、それは本書に譲る。
気になった方はこちらからどうぞ
悪いところ
では以下に本書の悪いところを挙げていこう。
専門用語がやや多め
一部の章では解剖学やトレーニング理論が登場し、専門知識なしでは難解な箇所もある。興味のない読者は読み飛ばしてしまうだろう。
翻訳が若干クセあり
原書のリズム感を活かそうとしているが、日本語としてやや読みにくい部分も。特に比喩表現が多く、直訳っぽさを感じる瞬間もある。
主張が極端に感じる場面も
「靴は害悪」「文明は敵」などのメッセージがストレートすぎる場面があり、受け入れがたい読者もいるだろう。理屈よりも情熱で押し切る印象がある。
そこらへんは好みだろうけど、気にならないヤツは気にならないだろうな。

まとめ
こんな人におすすめ!
- 健康のために走り始めたい人
- モチベーションが続かないランナー
- 自分の限界を超えたいと思っているすべての人
『BORN TO RUN』は、走ることの魅力を「科学」「文化」「冒険」の三本柱で再定義する唯一無二の書である。
読めば誰しも「なぜ自分は走るのか?」という問いと向き合いたくなる。
タラウマラ族という現代の神話的存在を通じて、文明が見失った本質が浮かび上がる。
そして何より、読後にはシューズではなく「裸足」で外に飛び出したくなる衝動が生まれる。これはスポーツ書ではない、「人間とは何か」を問う一冊だ。

走ることは、己の魂を解き放つ儀式なのじゃ。この本を読めば、人間が本来持っておる力を思い出すのじゃ。
靴を脱ぎ、風と友になれ。走るのじゃ!