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宮台真司が問う「アジア的共同体」の終焉と可能性

2017年11月15日

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宮台真司が問う「アジア的共同体」の終焉と可能性

2017年11月15日

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ドラねこ
ドラねこ

ちわわ、ちわ~!おいさんだよ!

キミは亜細亜主義を知っているかい?

またこのオッサンかよ。どうせ難しい話ばっかなんだろ。

まいける
まいける
ドラねこ
ドラねこ

名前で判断するでない。これは現代日本へのある種の指針なのじゃ

亜細亜主義?

昭和の思想か?

まいける
まいける
ドラねこ
ドラねこ

グローバリズムの陰りを前に、過去の試みから学ぶことは多いのじゃ。

でも今さら“アジア的連帯”とか夢物語じゃね?

まいける
まいける

\ ココがポイント!/

ドラねこ
ドラねこ

『亜細亜主義の顛末に学べ』は宮台真司がグローバリズムの限界と、それに代わる社会ビジョンを構想する一冊なのじゃ!!

戦前の「亜細亜主義」を単なるナショナリズムや帝国主義の道具として断じるのではなく、「対抗的な地域共同体構想」として再評価し、現代日本の閉塞感や孤立に抗するヒントを探る。その本質は「ポスト国民国家的な共同体」の構築に向けたラディカルな提言にあり、単なる歴史書でもなく、思想書でもなく、「これからどう生きるか」を問う実践的社会論でもある。経済成長モデルが限界を迎え、社会的連帯が崩壊した今こそ、反グローバリズムの文脈で「亜細亜主義の顛末」に学ぶことが意味を持つ。過去の失敗を教訓に、より良き未来をデザインする視座が本書にはある。

亜細亜主義の顛末に学べ

読んでみてびっくりした。

「亜細亜主義の顛末に学べ」は出版されてから少し前の本にもかかわらず当時と現在の日本の状況をここまで克明に予想していることにまず驚かされる。

 

いや、ある程度の知識のある人ならこれくらいの予想はついたのかもしれないが、それにしても驚きである。

 

「亜細亜主義の顛末」なんてすごい名前が付いているが、この本はグローバライゼーションが地域の共同体を如何に破壊して、世界各地をのっぺりとした「入れ替え可能な地」と変え、そんな状況を21世紀の我々はどう迎えたらよいかという視点で、19世紀に沸き起こった亜細亜主義を元に現在の日本のあるべき姿を考えていこうとする本である。

 

本書を詳しく語る前にまずは亜細亜主義について説明しよう。

アジア主義(アジアしゅぎ)、または汎アジア主義(はんアジアしゅぎ、英語: Pan-Asianism)とは、日本と他のアジア諸邦の関係や、アジアの在り方についての思想ないし運動の総称である。19世紀後半に活発となった欧米列強のアジア侵出に対抗する方策として展開された。

アジア主義 - Wikipedia

亜細亜主義とは頭山満など「玄洋社」のメンバーなどに代表される、「東アジア一帯はアジア的なるものを抱えながら国や人種の壁を超えて連帯し、欧米に対抗していこうじゃないか」という思想である。

これは口で説明するよりも「大東亜論 巨傑誕生篇」を読んでいただければその内容がわかるだろう。

「大東亜論」は頭山満を主人公した19世紀に活躍し、そして今では忘れさられた熱き日本男子たちの物語である。

 

アメリカ主導の「グローバライゼーション」

次に本書において何度も出てくる重要な言葉で「グローバライゼーション」という言葉がある。

 

改めて意味を教えることもないだろうが、「グローバライゼーション」とは

グローバライゼーションは冷戦体制の終焉で起こりましたが、三つの側面があります。第一は「軍事力一極集中化」。第二は「高度情報社会化」。第三は「アメリカン・ウェイ・オブ・ライツの浸透」。

第三を注釈すると、みなさんよくご存知の「マクドナルド的なもの」です。この三つが緊密に集約します。

「亜細亜主義の顛末に学べ」p17

第一の「軍事力一極集中化」とはつまりはパクス・アメリカーナのこと。

第二の「高度情報社会化」はIT革命によって世界中の隅々まで張り巡らされたインターネットなどのIT社会のこと。

第三の「アメリカン・ウェイ・オブ・ライツの浸透がいわゆるスタバマクドナルド、ディズニーなどの非常に合理化された巨大資本を背景に持つ巨大企業のこと。

グローバリズムとは、軍事的覇権を背景にした経済的覇権の追求で、レーニンが問題にした帝国主義です。

今問題のグローバライゼーションはそれとは異なり、経済的覇権を受け入れる側の自発性を前提とします。

p30

レーニンの提唱した帝国主義とは違った巨大資本主導の経済的覇権の争い、と考えておけばいいだろう。

 

巨大資本なんて、今の日本を見渡せばあちこちに様々な外国資本がいきわたっていることがお分かりになるだろう。

そんな現在の日本を取り巻く「グローバライゼーション」の波を、我々日本人は明治の時代から何かというと諸手を挙げて自分の頭で深くモノを考えずに受け入れてきた。

しかしその弊害は現在、様々な姿で我々の前に見せつつある。

 

具体的に言うと巨大資本は地方を疲弊させ、格差を拡げる元凶となっているのである。

 

なんてことを言うと、共産党みたいな感じになってしまうが、

でもそれは都心以外に住む地方在住者は街に出てみればよくわかることだろう。

 

「グローバライゼーション」の入れ替え可能性

宮台氏はこうしたグローバライゼーションがもたらす弊害にもう一つ警鐘を鳴らしている。

それがグローバライゼーションの持つ「入れ替え可能性」という問題だ。

 

第三に重要なのは「近代化の両義性」です。

良かれと思ってなす近代化は必ずしも幸せを保証しません。先に述べた西郷隆盛と岩倉使節団の対立を見ると、西郷は大久保利通のような単純欧化主義者を、私腹を肥やす売国の輩として攻撃しました。

日本が列強に屠られないためには欧化が不可欠たることは間違いない。でも単に欧化するだけでは、従属的立場に陥るのみならず、日本は他国と入れ替え可能な場所となる。産業化や富国強兵だけではダメだというのです。入れ替え不可能なパトリとは何か。それが亜細亜主義の出発点でした。

p43・44

グローバライゼーションが起こす弊害は、日本という国が欧米となんら変わらないものになってしまうということ。

それは進むとこの国が持つ良さを殺し、単なる欧米の模倣にとどまってそうした国々となんら違いのない「入れ替え可能な」国柄になってしまう。

 

具体的に言えば、明治の頃より日本は欧米に追いつけ追い越せと様々な欧化政策を行ってきたが、それがいつしか日本は「世界の工場」と呼ばれるまでに工業化を推し進め、欧米を圧倒する存在にまでなった。

 

もう手に入れるものは何もなくなった状況なのに、未だにバカの一つ覚えのようアメリカの意のままにさらなる「欧化」を進めようとしている。

その最後の締めくくりが、今の安倍晋三が推し進める従米法案である安保法制などである。

 

あれが強行採決されたおかげで、この国はアメリカの泥沼のテロ戦争に巻き込まれる可能性がある。こうしてアメリカの思う壺である日本は、売国奴の手によって自ら戦後レジームを完成させてしまうかもしれない。

今の政治家は大したビジョンもなく、ただ単純に自らの私腹を肥やすために「欧化」を叫ぶ。

 

しかしここで宮台氏が指摘するように、単純な「欧化」は我々を幸せにはしない。むしろ国柄を破壊してどんどんおかしなところへ向かうのだろう。

 

そうした動きは最近の自民党を見ていればよく分かる。

 

彼らは自らの頭で考えることを放棄し、一人の独裁者について行くことを選んだのだ。

そんな奴らは所詮、属国思考の奴隷なのかもしれない。

 

多くの愛国心を持つと自称するものが、

彼らはそもそも「本当の愛国心」とはどういうものが分かっているのだろうか?

 

愛国心とはなんだろう?

愛国心はこういう比喩で考えたらいい。

「国家」とは大きな乗り物、いわばバスです。乗合バスというより長距離バス。バスには運転手と乗客が乗っている。運転手が統治権力、乗客は国民。バスには人々と一緒に「ヘリテージ」すなわち「相続財産」も積まれている。愛国心とはバスに乗せてきた乗客たちとヘリテージを守ろうとする思いです。

自分たちとヘリテージを守るために、乗客たちが運転手を選んで、バスを運転させている。

ヘリテージを守れないなら、運転手はクビ。あるいはバスもお払い箱。

乗客たちは国民。バスは国家機構。運転手は統治権力。ヘリテージは国民財産です。

国民と国民財産を守るための手段が国家だというのが近代的愛国心です。

p109

続けて宮台氏はこう指摘する。

愛国心とは、国民と国民的財産を守るために、統治権力と統治機構をちゃんと操縦しようと頑張る志のことです。

生まれた国だから国家を愛せとか、統治権力を愛せなどというのは、意味不明です。

守るべき国民的財産のイメージがわかないのなら、そもそも愛国心などわきようもありません。

p111

わしはネットなどに現れる愛国者たちに疑問をいだいていたが、この宮台氏の言葉を読んで納得がいった。

自らの頭で考えずに「生まれた国だから国家を愛せ」と声高に叫んでいる排外主義者たち。こうした者たちが実は愛国心の仮面を被った真の売国奴たちなのだと妙に納得して、本を閉じた。

 

戦後70週年を過ぎたいまこそ、頭山満たちによって提唱された亜細亜主義という思想は、大きなヒントになるのではないだろうか?

 

この本を読んでもう少しデカイ男になりたいものである。

 

良いところ

あらすじ

本書は戦前から戦後にかけて展開された「亜細亜主義」の思想史的検証から出発する。亜細亜主義とは日本が西欧的近代を批判しつつアジア的価値を共にする共同体を目指した思想であったが、結果的には帝国主義へと傾斜し、敗戦と共に潰えた。その顛末を分析しながら、宮台は「なぜ失敗したのか」「代替モデルは可能か」を問う。現代のグローバリズムがもたらした人間の孤立、文化の消費化、国家の空洞化といった問題を背景に、「地域共同体」「文化的連帯」「脱資本主義的倫理」といった概念を再提示する。単なる歴史の回顧に留まらず、これからの日本がアジアや世界とどう向き合うべきかというビジョンを示す思想的試みである。

では以下に良いところを挙げていこう!

歴史を通して現代を照射する鋭さ

宮台は過去の思想を現代的文脈に照らし直すことで「なぜ今うまくいかないのか」を歴史的因果関係として解き明かす。その姿勢は単なる批評にとどまらず、未来を見据えた建設的提案へと繋がっている。特に「戦前の誤解された理想」としての亜細亜主義を再評価する観点は、他の思想書には見られない視点である。

グローバリズム批判に代替案を提示

反グローバル的な言説は数多あるが本書は「では、どうするのか?」に真正面から答えようとする。宮台が提示する「文化的連帯」や「ローカルな共同性」は、実践可能性はともかくとして、読者にとって新たな視座となる。批判だけで終わらず、次のフェーズを考える姿勢が貴重である。

実践と思想の架橋

学者的な抽象性に終始せず、教育・政治・地域など、現実の制度への応用可能性を示す構成になっている点が優れている。読んで終わるのではなく「では自分はどう動くか」と考える契機となる。特に地方創生や地域自治に関心のある読者には実践的ヒントが多いだろう。

気になった方はこちらからどうぞ

悪いところ

では以下に悪いところ挙げていこう。

抽象的概念が多く、読解に労力がいる

歴史哲学や社会理論への言及が多く、読者の予備知識をかなり要求する。政治哲学に慣れていない人にはとっつきにくく、読了には相応の集中力が必要である。

「実行可能性」にはやや乏しい

提案される社会モデルは魅力的だが現実的にどう制度化・実装するかについては具体性に欠ける。理想論に傾きすぎてしまう印象も否めない。

一般読者向けの配慮が薄い

全体的にアカデミックな文体で書かれておりビジネス書的な平易さや親しみやすさはない。一般的な読者層へのリーチという点ではハードルが高い構成といえる。

そこらへんは好みだろうけど、気にならないヤツは気にならないだろうな。

まいける
まいける

まとめ

こんな人におすすめ!

  • グローバリズムに疑問を感じ、別の社会モデルを模索している人
  • 歴史から思想を学び、現代への応用を考えたい知的好奇心の強い人
  • 地域社会・地方自治・ポスト資本主義に関心を持つアクティビストや研究者

『亜細亜主義の顛末に学べ』は過去の失敗を検証し、そこから新たな社会ビジョンを導こうとする宮台真司の挑戦である。単なる懐古や批判に終わらず、「共に生きる」ための原理を再構成しようとする志が本書にはある。歴史、思想、社会論が交錯する内容は容易には消化できないが、その分だけ読み応えと学びは大きい。特に今グローバル資本主義の弊害が明らかになる中で「次の選択肢」を模索する人々にとっては、極めて示唆的な一冊となるだろう!

ドラねこ
ドラねこ

この書を読む者には安易な答えではなく、正しい問いを持てる者こそ、道を拓くのじゃ!


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  • この記事を書いた人

ドラねこ(おいさん)

「運も人生も、自分で掴み取れ!」をモットーに、吉方旅行をきっかけに運気を上げる旅や、旅先で本当に使える便利アイテム・ガジェットを中心にレビューしています。 「旅と運を味方につけたい人」に役立つ、リアルでちょっとお得な情報を発信中。 お気に入り登録・SNSフォロー大歓迎!

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