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“愚かさ”が救いになる?人間の滑稽さを抱きしめる傑作

2016年11月10日

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“愚かさ”が救いになる?人間の滑稽さを抱きしめる傑作

2016年11月10日

※本サイトはアフィリエイト広告を利用しています。
ドラねこ
ドラねこ

ちわわ、ちわ~!おいさんだよ!

キミはポール・オースターは好きかい?

またポール・オースターか。

好っきゃな。

まいける
まいける
ドラねこ
ドラねこ

これがおもしろいから仕方ないのじゃ。

どうせ最後すぐ死ぬんじゃねぇの?

まいける
まいける
ドラねこ
ドラねこ

されど運命とは滑稽なもの、その“死”を避けて人生に戻るのじゃ

で、つまり生き返ったってわけ?

まいける
まいける

\ ココがポイント!/

ドラねこ
ドラねこ

『ブルックリン・フォリーズ』は、故郷ブルックリンへ“死にに”戻ったはずが、思わぬ出会いによって再び人生に希望を見出す物語なのじゃ!!

平凡な日常のなかの偶然、滑稽、そして温かさを巧みに編み上げながら著者ポール・オースターは「生きるとは何か」を静かに問いかける。
ナサンはがん治療や離婚を経た後、自らの不甲斐なさを書き連ねる“人間の愚行録”をつけ始める。それがきっかけで、再会した甥トムや無口な姪ルーシー、個性的な古書店主ハリーとの交流が始まり、彼の人生は“静かな再始動”へと転じていく。
派手な事件や劇的な展開ではない。だがその地味な日々の断片こそが本書が帯びる不思議な“濃さ”なのだ。終盤には家族の再生、絆、そして「死ぬためではなく、生きるために帰る」という力強いメッセージが胸に染み渡る。

文学の深みと日常のあじわいを絶妙に融合させた、オースターならではの“人生小説”である。

ブルックリン・フォリーズ

アメリカといえば、夢と希望に溢れた自由の国というイメージがあるが、実際には日本とそれほど変わらない、人生に敗れた者、絶望した者が多く集まる国に今ではなってしまったようだ。

 

ドナルド・トランプが「隠れトランプファン」なる者たちに支持されて当選したように、今では開きすぎた格差に絶望した白人たちが、各地で次々と怨嗟の声を上げてアメリカを覆い尽くさんとしている。

 

そんな絶望の現代よりもよりもだいぶ前、

9.11を迎える直前のアメリカ・ブルックリンが本書の舞台だ。

 

登場する主人公のネイサン・グラスは、今はもう現役を引退した元保険外交員。

悲惨な結婚生活の果てに娘には愛想を尽かされ、ガンの手術後、自分の死地を求めてブルックリンにやってきた哀れな男である。

 

なんとはなしにブルックリンにやってきた彼は、そこで思いがけずかつて自分がとても可愛がり、成功すること間違い無しと思っていた秀才(神童?)の甥っ子トムと出会う。

トムはブルックリンで一風変わった書店のオーナー・ハリーの元で働く本屋の店員として、かつての輝きはいまは見る影もなくネイサンが予想していた成功も失われた状態で再会を果たす。

ここに出てくる登場人物たちは、みなインテリジェンスで、温厚な性格の、いまだったらたぶん民主党の支持者であったろうリベラルな思想の持ち主ばかりだ(実際に本書に出てくる登場人物の何人かはブッシュ政権誕生を阻止するためにデモに参加している)

 

「フォリー」とは「愚かな」を表す単語だが、そんな温厚で知性豊かな彼らが、人生においてしでかした「しくじり」のおかげで自らの生きる道を見失い、ブルックリンで出会ったことで様々な事件が巻き起こる。

 

人生に絶望した者たちへのエール

本書はポール・オースターの作品の中でもかなりライトな、どちらかというとオースターの作品では「ティンブクトゥ」に近い軽妙な語り口で書かれている苦悩を抱えた大人たちの物語とである。

 

そんな主人公のネイサン・グラスは、半ば自嘲気味に彼の余生を自身「愚行の書」と呼ぶ、今まで見聞きしてきた男たちのありとあらゆる愚行を記録する本を書くことを趣味としている。

 

「文章を書くことの本意」に苦悩しつつ、そのような本を書きすすめる彼に向かって、哀れな雇われ書店員トムの放つ言葉がとても印象的だ。

詩人や小説家の生涯をよく見てご覧なさい。そこから得る総体は掛け値なしの混沌、例外ばかりの無限のごたまぜです。それは書くということが病だからです、とトムは続けた。

何なら心の感染症、魂のインフルエンザといってもいい。

誰がいつかかっても不思議ではないんです。

老いも若きも、強きも弱きも。酩酊せる人も素面の人も、正気の者も狂気の者も。文学の巨匠、準巨匠のラインナップを見てごらんなさい。

あらゆる性的気質、あらゆる政治的傾向、この上なく気高い理想主義から最高に陰険な堕落まで、人間としてありとあらゆる特性を抱え込んだ人たちです。

彼らは犯罪者であり弁護士であり、スパイであり医者であり、軍人であり独身女性であり、旅人であり隠者でした。誰も除外されないんだったら、六十歳にならんとする元保険外交員が仲間に入るのを何が妨げます?

いかなる法が、ネイサン・グラスがこの病に冒されていないと断定できます?

「ブルックリン・フォリーズ」p155

この「誰がいつかかっても不思議ではない」という部分に、わしは自分の心を見透かされたような気がしたw

わし自身、ブログなんて書く気はさらさらなかったが何故か突然自らの旅(これも一つの愚行の書)を書きたいと思いたち、このブログの初期の形「ドラねこ日記」を始めたのだ(多くの方は覚えてないだろう)

よくここまで続けて来れたもんだと自身の書き散らしてきた駄文の数々を振り返ってしまうが、病気だったんだからしょうがない。

 

人が何かを「書きたい!」と思うことは、魂のインフルエンザなのだ。

老いも若きも、バカもかしこも、男も女も誰だって常に自分の人生にぶち当たる不条理に翻弄されて疲れた時、どうやらこの魂のインフルエンザなるものにかかってしまうらしい。

 

それが端的に発散される場所が、わしにとってブログだった。

そう、「書くこと」は心の感染症なのだ!

 

魂のインフルエンザに促されて

そんな魂のインフルエンザに絶賛かかり中のわしも、やはりネイサンではないが弱小ブログを更新していると常に書くことの意味を考えさせられる立場にいる。

 

わしはなぜそんなに読者数もいない、うだつの上がらない弱小ブログをもう三年続けているのだろう?一向に報われないブログを意地になってこうも駄文を書き散らしながら更新しているのか?

 

まるで青臭い苦悩を抱えながら、常に無い才能と知恵を絞りながら更新に更新を重ねる日々。

そんなわしが綴る文章なんか、いずれは読者に見放されてしまうんじゃないだろうか?

 

そう思っていたわしに、この本から一つの光明を見いだした。それがこの一節、

社会が押し付けてくる命令を拒む勇気があるかぎり、人は自分の定めたやり方で生きることができる。

何のために?自由であるために。

でも何のための自由?

本を読み、本を書き、考えるために。

p18

そうだ、「自由」だ。

わしは「自由」がほしかった。

 

わしは自由を手に入れるために、このブログを始めたのだ。

最初は、旅の記録や本の備忘録のために更新していたこのブログも、突き詰めればこの「自由」を手に入れるために始めたようなものだった。

本を読み、自らの頭で考え、そして自らの力でお金を得て「自由」に生きるために……

このブログを始めた「核心」は多分ここにあったのだ。もちろん、未だにその「自由」とやらは手にいれてはいないし、情けない日常は今も続いている。

 

それでも自分がしたいことをして明日を生きるために、わしは「社会が押し付けてくる命令を拒む勇気」を持ちながら、書くことを続けなければならない。

それが、わしがブログを書く「意味」なのだろうか。

 

そんな魂のインフルエンザに、あなたもいつかかかるかもしれない。

 

良いところ

あらすじ

本作は59歳のナサン・グラスが、がんの治療を終え余命宣告を受けたことでブルックリンの静かな路地に“安らかに死ねる場所”として帰郷するところから始まる。だがそこで秀才だった甥トムと再会し、互いの寂しさを共有しながら日々を過ごす中、無口な姪ルーシーも加わり、家族の再構築が静かに進む。古書店主ハリーら個性的な人物との偶発的な出会いが、彼らの日常に色を差す。笑いあり、涙あり、人生の中途で見つけた“第二の章”が織り成すのは、小さな奇跡の連鎖だ。
物語全体は、ナサンが書き始めた『人間の愚行録』というフィクション書きが軸となり、そこに収録される小事件や出会いが本編とシームレスに重なって進行する
ラスト近くにはブルックリンの日常がかけがえのないものとなった主人公が、死を目前にして初めて「生きる意味」を実感する瞬間が描かれ、静かな感動で締めくくられる。

では以下に良いところを挙げていこう!

偶然と滑稽さが混じる“日常の豊かさ”

本書の力は、劇的な事件ではなく、日々の小さな偶然とユーモアにある。

ナサンの“愚行録”に記録された些細な事件の中に、人生の滑稽さや愛しさが確かに映し出されている。読者は派手さを求めずとも、登場人物たちの何気ないやり取りや温かな瞬間に「生きるとはこういうものだ」と思わされるだろう。

再出発の物語として普遍的

がんや離婚など一見ネガティブな背景を抱えるナサンだが、物語はそこから希望を紡いでいく構造になっている。これは“人生は終わりだけではない”というメッセージを強く感じさせ、特に中高年層にとって“自分も再出発できるかも”という励ましになる。

登場人物の魅力と温かさ

甥トム、姪ルーシー、古書店主ハリーなど、それぞれが人生の真ん中で迷い悩みながらも、ナサンと関わって変わっていく。特に無口なルーシーの復活や、甥の立ち直りは、静かながら心を打つ。人間ドラマとしての深さがしっかりしており、読後性も高い作品である。

気になった方はこちらからどうぞ

悪いところ

では以下に悪いところ挙げていこう。

展開がゆったりすぎる

ドラマティックな事件が少ないため、物語は非常に静かで進行はゆっくり。スリルやハラハラ感を求める読者には「何も起きない」と感じられるかもしれない。

偶然の積み重ねに違和感を抱く人も

登場人物や出来事が次々重なる点は、ある種の「偶然の多重構造」に見える。ここには賛否両論あり、壮大なシンフォニーとして受け取るか、作りすぎと感じるかは読者次第である。

オースター節に好転が分かれる<

語りの鈍重さ、ナサンのやや自己陶酔的な語り口は、オースターに慣れていない読者には「くどい」と感じる可能性がある。軽快さではなく文体の深さ重視である点は好みが分かれる。

そこらへんは好みだろうけど、気にならないヤツは気にならないだろうな。

まいける
まいける

まとめ

こんな人におすすめ!

  • 中高年の再出発や家族の再生に共感する人
  • 平凡な日常にこそ価値を見いだしたい人
  • 大仰でない、“静かで温かい”人生小説を読みたい人

『ブルックリン・フォリーズ』は、死に場所として戻った街で人生の再起を果たす大人たちの物語である。華々しい展開はないが、そこに宿る人間の愚かさや偶然と絆の温かさこそが、本書の隠れた魅力だ。ナサンの“愚行録”という視点は、我々が日常の中で見逃しがちな小さな喜びや失敗の尊さを、静かに浮かび上がらせる。
派手さを求めない人、人生の意味を改めて考えたい人、そして“静かな再出発”に心が震える人にとって、本書は確かな滋養となるだろう。オースター文学の中でも異色の“温かい人生譚”として、じっくり味わいたい一冊である!

ドラねこ
ドラねこ

人生とは滑稽な偶然の連続なのじゃ。

そのひとつひとつを愛せるようになった時、死すらも救いとなる――そう教えてくれる物語なのじゃ。


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  • この記事を書いた人

ドラねこ(おいさん)

「運も人生も、自分で掴み取れ!」をモットーに、吉方旅行をきっかけに運気を上げる旅や、旅先で本当に使える便利アイテム・ガジェットを中心にレビューしています。 「旅と運を味方につけたい人」に役立つ、リアルでちょっとお得な情報を発信中。 お気に入り登録・SNSフォロー大歓迎!

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