ちわ~!おいさんだよ。
キミはだらしなく生きてるかい?
あのな、4月になってもそんなこと言ってんのはお前だけだぞ。
4月になったばかりでもなんとなくやる気がでない。
ダリぃんだよ。仕事もしたくないなぁ…
ガタガタ言ってないで、仕事しろ!
あんなぁ、でもなぁ今回紹介するこの本にはだらしない方がうまくいくって書いてあるんだよ!
なんだそれ?
どんな本だ?どうせロクでもない内容なんだろう?
そこで今回は「だらしない人ほどうまくいく」をご紹介しよう。
前回まではこちら
アメリカ人のオタクについて。という話(*´ω`*)
だらしない人ほどうまくいく
- 作者: エリックエイブラハムソン,デイヴィッド・H.フリードマン,Eric Abrahamson,David H. Freedman,田村義進,青木千鶴
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2007/09
- メディア: 単行本
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結構、自分は「だらしない」方である。家の部屋の中の話だ。
それでも心のどこかで自分はもしかしたら「きっちり」している方なのかな?と思ったりする。
一概に全て「きっちり」しているわけではない。
かといって「だらしなさ」すぎるわけでもない。
そんなどっちつかずのわしだが、家の中が散らかっているのは嫌いだ。
それなのに自分の机周りは結構乱雑になっていたりする。
これを読んでいる人もそんな方がいるのではないだろうか?
そんな「だらしない系」と「きっちり系」が混在しているわしにとって「だらしない人ほどうまくいく」はコペルニクス的発想の転換をもたらす本だった。
人間、「きっちり系」が社会的に「善」であり、「だらしな系」が「悪」であるように思っている。
わしらはどこかでそうした、「だらしない人間」に対して「善悪二元論」で疑いもなくダメ人間だと思っている。
しかし、本当にそうなのか?
きっちり系・善、だらしな系・悪!?
整理整頓すること。
きっちり計画を建てること。きれいにすること。
そうしたことを人は盲目的に「良いこと」であると信じている。
でも、現実には「きっちりしている」ことが全てにおいて優れているわけではない。
「だらしなさ」や「乱雑」さや「行き当たりばったり」が実は優れている面もあるのだ。
そのことを本書は豊富な実例とともに読者に教えてくれる。
本書はそうした「きっちり系・善」「だらしな系・悪」という固定観念を「ほんとにそうなのかな?」と、客観的に事実を検証しつつ考察していく本である。
「きっちり系」のビジネス本は世に数多くあれど、こうした「だらしな系」のビジネス本はそうないのではないのだろうか?
確かに言われてみれば「きっちり」し過ぎると窮屈だし、「だらしなさ」過ぎても迷惑である。
職場でも家庭でもある程度の「だらしなさ」は必要なのだ。
ある程度の「だらしなさ」とは?
例えば、企業が書類などが「きっちり」膨大な資料や書類を整理整頓しようとすると、人手も時間もお金もかかる。
「きっちり」することが効率的であるように思っているが、実は逆に多大なコストが掛かってしまい、企業にとってあまりメリットが少ない。
またある例では、アメリカでは景観を保つために家庭の庭では芝生を育てるのが一種のステイタスになっているのだが。
実は芝生を育てることは膨大なコストがかかる。
大量の水を使って化学肥料や殺虫剤などを流し、川や海を汚染しながら自然を破壊してしまう。水道代もバカにならない。
こういった「きっちり」していることが、
実は社会的に害悪を与えていることは結構あるのだ。
一方、「だらしない」組織や個人の方が変化が著しい社会において柔軟に対処できるというメリットもあると本書は指摘する。
例えば、完璧なプログラムを作成するより、7,8割ほどで未完成でも市場に上げてしまって、ユーザーの意見を取り入れながらシステムを完成していくことなんかは今ではプログラムを作っている企業では当たり前のように行われている。
外食産業でもマニュアルで「きっちり」接客方法を決めて頭ごなしにこき使うより、その店に任せてしまって独自の工夫をさせることが「利益」につながることが多いという。
日本でいったら「ドン・キホーテ」がその成功例だ。
組織でも何でも実は適度な「だらしなさ」を取り入れることが大切なのだそーな。ほ〜ん、なるほどなぁ(;´∀`)
2、3割の「きっちり系」のシステムの上に「だらしな系」を加えて運用する。
「きっちり」な主旋律が流れている上に、
「だらしな系」の自由な演奏が加わって、
店で働いている店員の個性に任せてしまうのだ。
Jazzバンドの即興演奏のように。
今の日本にはマニュアル的な接客よりも、こうした変幻自在・融通無碍な姿勢が欠けているのではないのだろうか?
これはまさに「コロンブスの卵」的な、目からウロコの発想である。
誤解しないでもらいたいのは、本書が全てにおいて「だらしな系」が優れていると主張しているのではないことだ。
全てきっちりしているより、少しの無秩序の方が世の中はうまく回るということだろう。
本書の中の最後には「だらしな系」にも病的な「だらしなさ」があって、そうした者はゴミ屋敷などを作って周りの人に迷惑をかける存在でしかないと紹介されている。
確かにこれは「だらしない」ことの 悪い例だろう。
でもだからといって、「きっちり」していることが必ずしも良いことではないんだよ、思考停止に陥っちゃいけないんだよと、我々の固定観念に疑問を投げかけてくれる本であるとわしは感じた。
こういった思考の柔軟性はいつでも必要だよね(*´∀`*)
そう、だからだらしなくてもいいんだ。
これからはより一層だらしなく生きていこう!